小室哲哉の「うぇっ!?」の現在【若い頃、全盛期、昔の伝説エピソード】

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小室哲哉の昔の話が面白すぎる

〇中学生の小室哲哉、おうちの楽器を勝手に売る
小室哲哉は、幼少期よりヴァイオリンやエレクトーンで音楽に触れていた。中学生になった小室哲哉は、どうしてもシンセサイザーが欲しくなるも、値段は16万円で親にねだるのも到底無理だった。考えた小室哲哉は、家にあったヴァイオリンとエレクトーン、そしてギターまで勝手に売っぱらって、16万円のシンセサイザーを購入した。

〇高学歴小室哲哉、クラスメイトの作曲課題を代行す
音楽の才能はもちろん早稲田高校に入学するほどの高学歴なのが、小室哲哉だ。高校の音楽授業では作曲課題があり、小室哲哉はクラスの半分を超える量の作曲課題を代行したとか。ちなみに先生は小室哲哉が卒業してから真実を知らされたとか。

〇小室哲哉が、早稲田大学を中退した理由
小室哲哉の価値観は音楽が中心だ。真っ当な職業に就いた方がイイのではと思いながらも、学費を払い続けるぐらいなら楽器を買った方がイイという結論にいたり、早稲田大学を中退している。その後も、自分の自動車も売っぱらうなど捨て身の資金調達を繰り返しながら、いろんな事務所にデモテープを送りまくっていく。結果、当時の有力音楽プロデューサーたちにまで届き、TM NETWORKデビューへとつながっていく

小室哲哉の若い頃の伝説

〇小室哲哉ブレイク前に作曲担当したアイドルが凄すぎる
小室哲哉は、TM NETWORKとしてデビュー間もないにもかかわらず、アイドル歌手の作曲も担当していた。
担当したアイドルの名前には、芸能界強者がたくさんいる。堀ちえみや観月ありさ、宮沢りえ、小泉今日子、中山美穂、松田聖子に中森明菜と、当時のトップアイドル達の曲はこぞって担当したことがある。これほどの面々の曲を、新人のミュージシャンが担当していることが、当時の小室哲哉に対する期待度の高さがうかがえる。

〇若い頃の小室哲哉、イケメン

〇小室哲哉、デビューからわずか3年で大物音楽P
小室哲哉がTM NETWORKとしてデビューしたのが1984年だ。そして2年後には、渡辺美里に提供した「My Revolution」が日本レコード大賞を受賞して業界の地位が向上、さらに翌年には自身のバンドの「Get Wild」がヒットして紅白歌合戦にまで出場し、小室哲哉の知名度もあがる。自分の曲で自分と他者の両方をヒットさせたことで、小室哲哉の実力がすでに音楽業界でもトップクラスであることが証明してしまう。小室哲哉、若干28歳の時の話だ。

〇小室哲哉、異例のダブル契約
当時の小室哲哉は、TM NETWORKとしてEPICと契約していた。
さらに数年後の小室哲哉は、avexと音楽プロデューサーとして契約する。このダブル契約が当時業界を騒がせた。というのは、歌手が2つの事務所と同時に契約するなんて前例がないからだ。
なぜ前例がなかったかというと、小室哲哉のように「歌手として売れて」かつ「音楽プロデューサーとして売れて」を実践してしまう天才がいなかったからだ。未曽有の天才が現れたことで、契約書でカバーし切れなくなったわけだ。

そして音楽業界が小室哲哉の天才性に気づいたあとに、今度は一般消費者が小室哲哉に気づきはじめる。つまり、小室ブームだ

小室哲哉の伝説:小室ブーム

〇世界が小室哲哉に気づく
通常作曲家や音楽プロデューサーは知名度が低い。しかし、小室哲哉はTM NETWORKとして名前が知られていることで、ヒット曲の作曲編曲担当に注目をし始める。「え、この曲小室哲哉が作ってるの?」ありとあらゆる有名歌手の作曲編曲に小室哲哉の名前が出始めることで、多くの人が注目しはじめる。

〇カテゴリー「小室哲哉」誕生
trfの5連続ミリオン達成や篠原涼子の「恋しさと せつなさと 心強さと」で初のCD200万枚達成などの華々しい記録や、オリコンチャートを小室哲哉の曲が埋め尽くしたことで、「小室系」「小室サウンド」というカテゴリーまで生まれた。もっとも有名な「小室ファミリー」もこの一環である。このブームは、5年間続くことになる。

〇小室哲哉、1年1500万
CD売上の日本歴代1位はBzだ。8200万枚で20年以上かけて達成している。ソロ歌手でもっともCDを売ったのは浜崎あゆみで5500万枚とこちらも10年以上かかっている。
一方で、小室哲哉の1996年はglobeで400万枚、安室奈美恵で330万枚、華原朋美で250万枚、さらにほかのCDも含めて550万枚、1年でCD1500万枚以上を売り上げている。この年の小室哲哉は、高額納税者全国4位となり、推定所得23億円、納税額は11億7000万円となっている。

〇小室哲哉、権利関係がグチャグチャ
当時の小室哲哉は、とにかく仕事が多く、仕事のほとんどが大金を生み出してしまう。さらにいろんな事務所と契約していたこともあり、権利関係が無茶苦茶になって、「この曲の権利の割合はどうなっているか」らの相談案件が大量に発生。結果、マネジメント管理システムが崩壊してしまったとか。ここまで個人の音楽プロデューサーが大量の金銭を生み出すことなどなかったため、既存のシステムでは対応できなくなったわけですな。

小室ブームが終わりを告げたのは、いくつか理由がある。安室奈美恵の出産休止。華原朋美との恋愛関係解消。このように主力が幕を引いていく。
その一方で、【GLAY】【 MISIA】【 Every Little Thing】等の台頭で、以前よりも小室作曲の歌がオリコン上位を占める割合が減っていった。結果、見た目上は小室ブームが終わったということになった。(売れなくなったわけではない)

小室哲哉の現在【引退、keiko】

小室哲哉の現在の年齢は、生年月日が1958/11/27なので、65歳だ。

歌手
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