貞廣社長は、体育会系教育がとにかく嫌いだ。
貞廣社長が出資した家具屋は、現在でも成功している
貞廣社長は現在、会社をますます大きくしており信じられない規模の社員を抱えている。
貞廣一鑑の現在にいたる経歴【貞廣社長】
〇抑圧された幼少期を送った貞廣社長
貞廣一鑑は、自衛官の父親のもと、男手1つで教育を受けた。
父親はたった1人で育ててくれたが、非条理だった。意味不明な説教を受けることは当たり前で、どう考えても道理が通っていない命令を聞かされることもあった。
我慢できなくなった貞廣社長は、ついに出奔する。この家庭環境から「体育会系な教育方針」を嫌悪するようになったとか
〇貞廣社長、飲食業界へ就職
父親の元から離れて金を稼がなければならなくなった貞廣社長は、飲食業界に就職した。飲食業界に、特別な興味はなかったしただ食べるために就職をした。
〇貞廣社長、順調に飲食業の勉強をする
就職した貞廣社長は、会社内でうまくやっていた。本社が飲食業を広げるという方針を見せると、職務の一環で飲食の企業にまつわる勉強もしていた。
そして会社が倒産する。何の前触れもなかったので、仲間みんなでどうやって食べていけばいいかと頭を抱えた。
貞廣社長は、このとき仕方なく起業を決意した。ちょうど飲食の企業にまつわる勉強をしていたからだ。もちろん何の準備もしていたわけでもないので、銀行で金を借りることにした
〇貞廣社長、妻の父親に土下座
貞廣社長は銀行に融資を受けたかったが、保証人がいなかった。父親はありえない。そもそも話を聞いてくれさえしないことが予想できた。なので、妻の父親に頭を下げることにした。
義父は、娘との結婚も反対してながら黙ってハンコを押してくれた人だったので、無理だろうと思いながらお願いに行った。
義父はハンコを押してくれた。
無職で企業経験もない嫁の夫のために、1300万円の保証人となった
〇貞廣社長、堅実、そして数十億へ
そのような経緯で手に入れた元手を使って、会社をコツコツと大きくしていった。そしてマネーの虎に出演できるほどの年商25億円という社長にたどり着いた
〇貞廣社長の投資の決め手
貞廣社長は当時の人気社長だった。人気の理由は出資を「人柄」で決めていたことだった。マネーの虎たちと衝突することは何度もあったが、志願者たちには常に優しく、親身になって話を聞く姿に多くの視聴者が好感を持った。
貞廣社長と岩井社長の喧嘩【マネーの虎の裏話】
貞廣社長は、マネーの虎時代に特に仲が悪かった社長がいる。
それが、岩井社長だ。岩井社長も、貞廣社長のことを嫌いだったと話している。
マネーの虎には、「幻の最終回」と言われているお蔵入りになった回がある。最後の最後に、岩井社長が志願者となって1億円のプレゼンをするというものだった。
そこで衝突したのが、すでに仲の悪かった貞廣社長だった。
岩井社長のプレゼンに対して、貞廣社長はなにかと噛みついた。岩井社長も最初は我慢していたが互いにヒートアップして、最後にはつかみ合いの喧嘩になったという
この件に関しては、貞廣社長も「あの時は僕も大人げなかった」と語っており(堀之内社長曰く)、もう大昔の話だけに裏では仲直りしていると言われている。
2人とも理不尽な理由で他人を責めるタイプでもないので、マネーの虎の番組をやっている中で、不運な行き違いが起こり、険悪になったと言われている。
貞廣社長と手を組んだ家具屋の現在
続いて、貞廣社長が出資した家具屋の現在を見ていく。そのあとに貞廣社長の現在もみる