郭泰源の現役時代は、今見ても化け物過ぎるし未来人過ぎる。
郭泰源は、引退後も監督コーチとして野球に関わり続けている。
郭泰源は現在、プロチームの顧問として活動し続けている。
郭泰源はこんな投手:ネットの無い時代に、世界中からオファーが来た、未来人すぎる助っ人外国人【野球】
○郭泰源、代表選手として日本と戦う
郭泰源は日本に来る前、台湾軍の野球部に所属して、台湾代表として活躍していた。なんと当時の台湾にはプロチーム自体が無かったのだ。そんな環境にもかかわらず郭泰源は、コンスタントに野球の技術を磨き続けていた。
郭泰源の存在を、日本に知らしめたのが、ロサンゼルスオリンピック代表決定戦だ。先発として登板した郭泰源は、日本を9回2安打1四球で完封。この一件を機に、郭泰源の獲得に動き出したのは、巨人に西武、中日、ヤクルトなど。さらに、メジャーリーグからも、カージナルスやドジャースにブルージェイズなどからオファーがあった。
結局郭泰源が選んだのは、西武。西武ライオンズのスカウトは、郭泰源を初めて見に来たプロスカウトであり、中学生のころから何度も話す機会があって、親密だったようだ。契約金は8000万円。当時として助っ人外国人に出す相場の数倍だった。
○郭泰源が未来人過ぎる
いまでこそ日本野球界は150kmが当たり前、160km前後を投げる投手もどんどん出てきている。しかし、1980年代ではもちろん違う。145kmあたりから速球派と言われて、150kmで豪速球と称賛を受けていた。
そして1985年に西武入団した郭泰源は、158kmを投げた。その速球はあまりにも早すぎて、【オリエンタル・エクスプレス】という愛称がついた。しかもスライダーやフォークも投げて、しかも球速は145kmを超えていた。当時の速球派の全力投球と同じ速度の変化球を投げる、当時の野球界からすれば、未来から来たとしか思えないピッチャーだった。そして現在の郭泰源は、”現代の日本野球界でも通用すると思う昔の投手”として、絶対に名前が上がる投手となっている
○郭泰源、偉業達成が早すぎる
郭泰源は、プロデビュー後、いきなり月間MVPを獲得する。3完投2勝0敗防御率0.32は、新人が出していい数字じゃなかった。そして2か月後、ノーヒットノーランを達成する。1年目の成績は先発で9勝の防御率2.52。以降も、郭泰源は、球界No.1ピッチャーの1人として、13年間西武ライオンズで活躍していくことになる
○郭泰源、力を抜いて投げていた
試合での郭泰源は、8割程度の力で投げていたことがわかっている。理由は全力で投げなくても抑えられるから無駄に力を使って消耗したくない、という才能のある者にしか許されないことを語っている。
○郭泰源の記録
- 13年間で、WHIP(1イニング当たりの走者の数)が、4回リーグ1位
- 完封数は1年目の1985年に3回で1位、1991年にも4回で1位。
- 通算117勝68敗18セーブ、防御率3.16
- 通算117勝で、外国人投手歴代最多勝利
助っ人外国人は、結果を出すと他の球団に行きがちだったり、短命だったりするが、郭泰源はコンスタントに結果を残し続けて、13年間西武ライオンズで現役を貫いている。だからこそ、史上No.1助っ人外国人投手の呼び声も高い。
ちなみに、伝説的バッター落合博満は、現役時代に1番苦労したバッターとして、郭泰源の名前をあげている。
郭泰源の現在:引退後は、コーチに監督に顧問に、と引っ張りダコ【今何してる?】
○郭泰源、引退後は台湾で監督に
引退した郭泰源は台湾に帰国した。郭泰源の生涯年棒は、11億円にも届き、ゆったりと余生を過ごせる状態だった。だが日本で超一流の活躍をしていた郭泰源なので、台湾にとっては野球の神様のような人だった。すぐにプロチームから声が掛かり、監督に就任している。その後、台湾代表監督らのキャリアを経て、福岡ソフトバンクホークスから声が掛かる
○郭泰源コーチ就任して、下位へ
2013年、郭泰源は、福岡ソフトバンクホークスの一軍投手コーチに就任する。昨年度は、チーム防御率2.56とパリーグトップの成績であり、郭泰源のコーチ就任はさらなる強化を期待するものだった。しかし2013年の防御率は3.52と下から3番目へ低迷、しかも先発にいたっては4.14とワースト2位の結果だった。この結果を踏まえて、当時のソフトバンクのヘッドコーチと、高山投手コーチは退団する運びとなった。当然、この年から就任した郭泰源への風当たりも強くなっていく。運命の2014年、福岡ソフトバンクホークスは、日本一を達成する。そして結果を残した郭泰源は多段して、台湾プロチームの一軍ヘッドコーチに戻っていった。
○郭泰源(当時54)、王貞治(76)と対決
2016年には、台湾OBvs狂人OBの慈善試合が行われた。
日本で伝説的活躍をした2人の対決が、話題となった。王貞治は台湾の野球ファンにも名前が知られており、実に48年振りの台湾でのプレイだったことも拍車をかけている。
○西武で、助っ人外国人投手が貴重すぎることが判明する
2020年、西武ライオンズのニール投手が開幕投手を務めた。
なんてことないニュースだが、実は外国人投手が西武の開幕投手を務めるのは、郭泰源以来の25年振りの出来事だったとか。それぐらい安定して期待に応えられる外国人投手が少ないってことである。
○郭泰源、殿堂入りへ
令和に入ってから台湾の野球の殿堂、台湾棒級名人堂に、郭泰源が選出を受けている。これで名実ともに、郭泰源は台湾の英雄的野球選手として名前を刻むことになった。
○郭泰源、富邦ガーディアンズの顧問へ
福岡ソフトバングホークスの1軍投手コーチを辞任したあとは、統一セブンイレブン・ライオンズの1軍ヘッドコーチに就任。そして2016年末からは、同じく台湾プロ野球チーム【富邦ガーディアンズ】の顧問に就任した。そして現在でも同チーム顧問として活動している。
社会人野球チームが台湾遠征したことを知らせるインスタグラムには、眼鏡をかけた郭泰源の姿も確認できる。
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郭泰源の現在の年齢は、62歳(1962/3/20)。