チェッカーズ高杢禎彦の現在【フミヤとの不仲の今】ガン,死亡,再結成しない訳,画像

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チェッカーズ高杢禎彦の現在 歌手

1980年~1992年まで活躍した伝説的ポップスバンドのチェッカーズ。

解散から10年後には、暴露本で、世間を賑わしたチャッカーズ高杢禎彦の現在だ。今何してるのか?

チャッカーズ高杢禎彦の「藤井フミヤとの不仲の詳細や現在」「病気がんになった件や現在」「チェッカーズが再結成しない訳」「高杢禎彦の活躍」らに触れていく。

その前に、チェッカーズや高杢禎彦の懐かしい伝説的昔を軽く振り返っていく

チェッカーズ高杢禎彦の現在にいたる懐かしい昔

チェッカーズ・ベストヒッツ・ライブ!DVDダイジェスト

○アイドル的人気無敵バンド「チェッカーズ」
チェッカーズの人気は半端でなく、息も長かった。
1983年のチャッカーズのシングル「ギザギザハートの子守唄」から、1992年の最後のシングル「Present for you」まで、全30のシングルはすべて売れた。1度として10万枚を下回ったことがなく、10年間でCDとDVDの売上枚数は1500万枚を超えている。1年150万枚の売上を出していることになるのだからとんでもない記録だ。

チェッカーズ高杢禎彦の若い頃

○チェッカーズのひげオジサン、高杢禎彦
涙のリクエストは、高杢禎彦が21歳のときに出したチェッカーズ2枚目のシングルだ。ジャケットの右側にいるひげオジサンが高杢禎彦だ。たしかに年齢をサバ読んでいると言われるぐらいに、老けている。
高杢禎彦は、藤井フミヤと保育園以来の幼馴染で親友だった。酒に酔っている藤井フミヤに、チェッカーズに入れてくれと頼みこみ、2度のテストの末に入れてもらった。当時、彼らは未成年である。

高杢禎彦は、高校生のころから、ひげが生えていたらしい。理容室の息子なので、毛の力が強いのだろう。

○チェッカーズ高杢禎彦の年収
メンバー全員基本給で、どんなに休んでも一定は入ってくる給料制だった。
その他に、印税とか、個人的な番組出演らのギャラが加算される。高杢禎彦も1100万円の納税をした年もある。つまり2000万超えってことか。メンバー7人で

○チェッカーズ高杢禎彦、結婚、子供
1990年6月には、藤井フミヤが結婚、半年後には高杢禎彦も婚約者が妊娠したのを気に結婚した。1992年までには、メンバー全員が結婚する。高杢禎彦には、息子1人と娘2人がいる。

そして1992年、チェッカーズは解散する

チェッカーズ解散理由【抜けたいと言ったメンバー】

○チェッカーズの解散理由は、いろいろ説がある。
チェッカーズの真の解散理由は、メンバーにしかわからない。
わからないので、ファンや音楽業界らの間で通説となっているものをいくつか取り上げる。どれが真実なのかは不明。

○「チェッカーズ、メンバー間のズレから解散」説
チェッカーズ高杢禎彦と鶴久が、ソロ活動の比重が非常に多く、バンド活動に支障をきたし始めたという話だ。チェッカーズとしてのバンド活動を中心にやるべきなのに、リハーサルもろくに出来ない。そのうち、メンバー間のズレが発生して、ついに藤井フミヤがリーダーの武内享に「チェッカーズをやめたい」と持ちかけた。藤井フミヤに賛同した武内享は、メンバー全員を集めた。解散に賛成が「藤井フミヤ、藤井尚之、武内享、大土井裕二の4人」、解散に反対が「高杢禎彦、鶴久、徳永の3人」。解散反対派は、鶴久をメインボーカルにすえてチェッカーズの存続を主張したが、願いは叶わず1992年末に解散となった。

○「藤井フミヤと高杢禎彦の確執」説
チェッカーズは、藤井フミヤが1番の高給取りだ。
理由は、1986年のシングル「NANA」以降、チェッカーズの音楽プロデューサー芹澤らの作る曲でなく、オリジナルで勝負することになったことで、藤井フミヤに1番印税が入ることとなった。さらに、藤井フミヤは、売上と比例して高額のギャランティーを請求するようになっていた。恩がある芹澤廣明を裏切って自分たちだけでやっていくのも、藤井フミヤが金のためにやったということらしい。
そして1992年、チェッカーズの藤井フミヤがワンマン的に解散を言い出して、解散に至った。

高杢禎彦と藤井フミヤの不仲①

解散理由の情報が、錯綜しているのは高杢禎彦と藤井フミヤの不仲、確執が原因である。

チェッカーズファンの間では、「メンバー間のズレが発端」という説が1番信じられている。
理由としては、「藤井フミヤがソロで活動したいと思っても、全然責められることではない」からだ。

当時のバンドの売り方は、「容姿重視のバンドに、プロの音楽家が曲を提供する」やり方が主流だった。つまり、「バンドの音楽センスなんて全く信用しておらず、アイドルマーケティングで曲を売る」という手法だ

チェッカーズも類にもれず、チェッカーズの当初の人気は、アイドルのような扱いだった。

当然ここには確執がある。音楽プロデューサーにおんぶにだっこではなく、「自分たちの実力で売れたい」と歌手が思うのは当たり前だ。チェッカーズも、全てのバンドがそうであるように、「自分たちのオリジナルで勝負したい」と思いはじめた。

そしてチェッカーズが、オリジナルに移行したのが1986年の「NANA」だ。売れ行きが落ちることはなく、チェッカーズが解散する1992年まですべてのシングル・アルバム・DVDが売れ続けた。チェッカーズは、自分たちの音楽的センスを実績で証明したわけだ。

こうした背景があるので、実績のある「藤井フミヤ」が悪いとは思えず、「藤井フミヤが金に貪欲って、仮にそうだとしても、おんぶにだっこで売れてる奴が文句言うなよ」「オリジナルで勝負したいのは当たり前だろ。音楽プロデューサーこそ、チェッカーズの人気に寄生してるだけだろ」と考える人が多くなった。

こうした情報は、高杢禎彦が「がん」になったときに、暴露本が発売されたことで、いろいろ飛び交うことになった

チェッカーズ高杢禎彦と「がん」

○高杢禎彦、胃がん
2002年、チェッカーズ解散から10年後の40歳に、癌の告知を受けた。
高杢禎彦は、1度も健康診断を受けたことがなく、病院に行ったことすらなかったらしい。
ドラマ撮影の合間の食事で、体験したこともない強烈な違和感と吐き気に襲われた。

○高杢禎彦、胃の全摘出
胃から食道の結合部分に、ガンが広がっており、初期ではなかった。
「初期ではない」と言われたことが激しくショックだったとか。ショックの大きさに、自ら命を立つことも考えた高杢禎彦だったが、妻の励ましもあり、手術をうけることにした。
手術は、横隔膜を切って、胃、脾臓、胆嚢の全摘出。食道も半分、リンパ節も多数摘出した。

○胃全摘出のエピソード
高杢禎彦の話ではないが、胃を全摘出するとどうなるかを紹介する。
まず食欲は湧く。しかしうどんを1本食べれば満腹になる。体重も男でも40代前半にまで下がる。とにかく食事はよく噛んで食べる必要がある。しかも食事のやりかたは、正解がなく、人それぞれ、いろいろ試して、自分に合う食事方法を編み出す必要があった。正解を見つけるまでは、腹痛やめまいや脱力感や息苦しさと戦い続けることになる。数年経てば、食事量も戻り、食事も好きなものを食べられるようになる。だが、胃全摘出後は、「一生戻らなかったら」という不安がずっと続くそうだ。

○高杢禎彦、がん、現在
腹部を切ったこともあり、歌をうたうことに恐怖があったが、現在では健康体で、音楽も続けている。人間ってすげえなー。

チェッカーズ高杢禎彦と暴露本

○チェッカーズ高杢禎彦、癌になっちゃったから、仕方がなかった
チェッカーズのファンの間では、暴露本は仕方がなかったものだと認知されているようだ。

チェッカーズ高杢禎彦は、作曲らが出来ず、チェッカーズも解散してお金もなくなって、そんな矢先に癌になってしまった。なので、奥さんもいるし、子供も3人いるし、暴露本を出すにいたった。それをメンバー全員がわかっているからこそ、暴露本に関しては、藤井フミヤらもあまり触れない。

チェッカーズ高杢禎彦の現在につづく【再結成しない理由など】

チャッカーズ高杢禎彦の現在の年齢は、56歳だ

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Aの現在【今】