浜崎あゆみの現在【デビュー当時から全盛期、若い頃の話が面白すぎる】

女性歌手史上、最も影響力を持っていた人間は誰だと言われたら、浜崎あゆみのほかにいない。

浜崎あゆみは、時代背景も相まって、デビュー当時から全盛期にいたるまで、さまざまな面白いエピソードを残している。

そこらへんをテンポよくさらっていき、浜崎あゆみの現在も見ていきたい。

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浜崎あゆみの現在も語り継がれるデビュー当時の凄さ【若い頃】画像

〇浜崎あゆみ、元はアイドル出身
浜崎あゆみは、もともとアイドル出身だった。
浜崎あゆみが望んでいたと言うよりも、当時の芸能界が「容姿の優れた女はアイドルとして売る」というのが定番だった。なので、浜崎あゆみも当時は、アイドルっぽい紹介で、アイドルっぽい売られ方をしていたをしていた。そんな時に、現エイベックス会長の松浦勝人にであう。

〇浜崎あゆみ、エイベックス在籍当時は、売れないと思われていた
当時、浜崎あゆみを売れると思っていたのは、松浦勝人だけだったらしい。というのも、当時の芸能界のご意見番的な人間や、社内幹部たちからは「浜崎あゆみのような顔は売れない」と言われていた。しかし、松浦勝人は、「浜崎あゆみ」を売るためだけの巨大プロジェクトチームを作り、膨大な広告費に過密スケジュールを組んで、浜崎あゆみに全力投資することに決める。

〇浜崎あゆみを売って売って売りまくったエイベックス
当時のエイベックスは、稼ぎ頭の小室哲哉との対立や、ヒット歌手安室奈美恵の活動休止もあり、次なる稼ぎ頭を探していた。そんな折に、「こいつしかいない!」と決めたのが浜崎あゆみだった。つまり、エイベックスや松浦勝人にとっても、一世一代の大博打だったってことだ。結果大ブレイクを果たす。
当時の浜崎あゆみは、CDを出しまくっていた。なんと最低でも二か月CD1枚を出していったのだ。たとえば1999年シングル7枚アルバム2枚、2000年シングル7枚アルバム6枚2001年シングル7枚アルバム6枚。
当時の浜崎あゆみのスケジュールは、文字通り殺人的だったという。過密スケジュールをこなした浜崎あゆみは家に送ってもらい、家に入って20分後には翌日の仕事の車が来るなんて日々、想像できるだろうか。

〇浜崎あゆみは、芸能史で最も忙しかった人
芸能界にはヒットしたことで過密スケジュールを送った人は多くいる。しかしながら、エイベックスほどの大手事務所が自分に全力投資して持ってくる仕事のほとんどが浜崎あゆみに割り当てられたような事例は他にない。しかも、ソロ歌手なので仕事が分散せずに、すべての仕事を自分でこなさないといけない。そんな状況を経験した人間は、浜崎あゆみのほかにいない

〇浜崎あゆみ、過労で耳が聞こえなくなる
実際、2001年の浜崎あゆみは、働きすぎて突発性難聴になっている。しかも治療する時間もなく後回しにした結果、2008年には左耳の張力を完全に失ってしまっている。

浜崎あゆみの過去については、ネガティブなものもある。たとえば「非常にわがままだった」「スタッフに傲慢だった」みたいな話だ。しかし、当時の事情を考えてみると、誰でもこうなるとわかる。これだけ期待をかけられて体もボロボロになって必死に働いたのが浜崎あゆみだ。一方、毎日ぐっすり寝てるスタッフにも顔色うかがって政治をやんないといけないなんて馬鹿げていると言ってもいい。働いているから稼いでいるから偉いとは言わないが、体を酷使しながら結果を出し続けている20歳前後の若者がいたら、わがままぐらい許されてしかるべきだろう。

浜崎あゆみの現在も語り継がれる全盛期

〇浜崎あゆみ、日本史上最強のファッションリーダー
女性芸能史にはファッションリーダーと呼ばれる人は多かったが、最も影響力の強かった人物は誰かといわれたら、浜崎あゆみは真っ先に出てくる。今女性の多くがやっているネイルの先駆者は浜崎あゆみだし、当時のコンビニに行けば、毎月なにかしらの女性ファッション誌の表紙にいた。現在も続いている人気女性ファッション誌「S Cawaii!」「ViVi」などの複数の女性ファッション誌で、専属モデルを差し置いて、歴代表紙登場回数1位を獲得している。

〇浜崎あゆみ、日本ゴールドディスク大賞アーティストオブザイヤー3回受賞
この手の賞を見ると「はいはい癒着癒着」と身構えるだろうが、このゴールドディスク大賞の受賞条件は単純明快、「CD,DVD,BDの1年間売上が1番の人」が受賞する賞だ。そんなシンプルかつ最高名誉の賞を、浜崎あゆみは、2001年2002年2004年の3回にわたって受賞している。当時は、浜崎あゆみ一強だったわけではない。たとえば、2001年には宇多田ヒカルのアルバム「Distance」が発売されている。このアルバムの売り上げは、今では考えられない447万枚だ。

〇浜崎あゆみのためのエイベックス
浜崎あゆみの全盛期で1番有名なエピソードは、大手事務所エイベックスの売上の半分を浜崎あゆみが占めてしまったことだ。
浜崎あゆみは歌手としてだけでなく、ファッションリーダーとしての地位もあり女子高生のカリスマになって、恋人にしたい女性アーティストランキング1位を5回獲得するなど男性人気も高く、浜崎あゆみ関連のグッズが次々売れた。結果、たった1人で毎年数百億を稼いでしまい、「エイベックスの浜崎あゆみ」ではなく「浜崎あゆみのいるエイベックス」になる。

〇浜崎あゆみの発言で、エイベックスの株が下がる
今のエイベックスの会長が松浦勝人なのは、浜崎あゆみのおかげであることを知っているだろうか。というのも、浜崎あゆみ全盛期には、エイベックス内で派閥争いがあった。当時会長と松浦勝人が経営方針の違いから対立して、松浦勝人が退社することになったのだ。その際、浜崎あゆみが「松浦勝人についていく」という旨の発言をインタビューでしたことで、株価が大きく下落。さらにほかの歌手らも追随したことで、最終的には当時会長が辞任、松浦勝人がエイベックスに復帰する運びとなった。もし、浜崎あゆみが松浦派でなれば当然今の松浦勝人会長はいないし、エイベックスも全く違う会社になっていたということである。

浜崎あゆみの現在に残る、伝説的CD売上ら記録

〇浜崎あゆみ、ソロアーティスト史上最初の5000万到達者
2012年、浜崎あゆみはソロ歌手史上初の累計CD売上5000万枚に到達した。他に到達しているのはBzとMrchildrenだけ。ソロ歌手の5000万枚の凄さは、2位や男性歌手を考えるとわかりやすい。ソロ歌手2位は松任谷由実の3840万枚、男性ソロ歌手では福山雅治の2170万枚と、ずば抜けた数字だ。ちなみに累計5000万枚を達成しているのは、浜崎あゆみと握手会商法のAKB48だけだ。

〇女性アーティスト部門ほとんど浜崎あゆみ
あたま20個抜けた浜崎あゆみは、当然ほとんどの記録を総なめ状態だ。連続首位獲得25曲、首位獲得37曲、連続首位獲得年数12年(デビューから12年間何かの曲で1位を獲得してる)、ミリオンシングル5曲、通算TOP獲得数48曲(全50曲中)などなど。

〇浜崎あゆみの出てきた時代は、CD衰退期
これらの記録が素晴らしいのは、時代背景だ。
もっともCDが売れた時代は1998年で、浜崎あゆみがデビューした年だ。それ以降は衰退していて、一気にCDが売れない時代になっていき、たった数年で40%も下降している。にもかかわらず、時代にあらがって数々の記録を打ち立てた浜崎あゆみの凄さ、そして当時のエイベックスの執念を感じる。

浜崎あゆみの現在【最新の画像】

浜崎あゆみの現在の年齢は、生年月日は1978年10月2日なので、45歳だ。

 

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