響お笑い芸人の現在:長友は農業にチャレンジ
長友は、ラーメン屋が閉店してしまった現在は、農業に没頭している。コロナ禍で、ラーメン屋がだめになった時のことを考えて、この機会にと、農業を教えてくれるイベントに参加した。
2022年4月には畑から10分の場所に引っ越して、毎日農作業に明け暮れているとか。
響お笑い芸人の現在:長友はダーツプロ資格も取った
お笑い芸人、響、長友は、2017年にはプロテストに合格して、プロ資格も持っている。
YouTubeでは、日本一のダーツプロと対決する動画を撮っている。
響お笑い芸人の現在:目次 | ||
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ピーク時の年収 | 響のネタ | ダイエット |
ラーメン関連 | 自分の収入ほぼ0 | 今は農業? |
結婚・嫁 | 小林の店が凄い | 芸人収入0!? |
小林、実はスネ夫ぐらい金持ちだったが、父親が弾けた話 |
響お笑い芸人の現在:長友と小林の結婚【嫁】
響、長友は、現在結婚していない。
響、小林は、2013年に結婚している。
響・長友:46歳(1978/2/10)
響・小林:46歳(1978/5/16)
響・小林の嫁:41歳(5歳年下)
お相手は、アパレルブランド店員で、嫁の方からサプライズでプロポーズした。
プロポーズの言葉
「響きのじゃない方と言われているが、あなたにとってはじゃないほうではない。幸せにしてください」2018年7月6日には、女の子が誕生している。
「じゃないほう」と言われていた小林だが、実は経営者として現在も安定して稼ぎ続得けているのは小林の方だ。
響お笑い芸人の現在:小林の店
響のじゃないほう芸人、小林も、実は飲食店を経営している。
【牡蠣と魚】【ハタガヤ牛タンテール】の2店舗だ。
驚くべきは、響の相方、長友のラーメン店とは違って、【牡蠣と魚】【ハタガヤ牛タンテール】は、現在も閉店していない。両方共だ。
理由としては、3つ。
シンプルに、東京都渋谷区にあるのが強い。
2つ目は、響の小林には、嫁と娘がいるので、粉骨砕身ねばった。
3つ目は、シンプルに、店の評判がめちゃくちゃいい。
2つの店は、「コスパ最強!」というコンセプトが同じで、多くのYouTuberが訪れて、どちらも「コスパほんとにいいわ」と大絶賛している。牡蠣食べ放題、牛タン食べ放題と、他ではなかなかみない食べ放題であることも、注目を集めている。
響お笑い芸人の現在:目次 | ||
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ピーク時の年収 | 響のネタ | ダイエット |
ラーメン関連 | 自分の収入ほぼ0 | 今は農業? |
結婚・嫁 | 小林の店が凄い | 芸人収入0!? |
小林、実はスネ夫ぐらい金持ちだったが、父親が弾けた話 |
響お笑い芸人の現在:芸人としての活動
響は長友も小林も、お笑い芸人としての収入は、ほとんど0円の時期が長いと語っている。
コンビのYouTubeチャンネルも、ピンのチャンネルも、どちらも更新が止まっている。
千葉テレビで冠番組があるので、今も0と言うことはないだろうが、2人とも芸人以外の方が忙しいし、芸人以外のことの方が興味津々と言った感じだ。もともと、「売れ続けることはない」と考えていたこともわかっているので、響の2人的には予定通りなんだろう。
今夜6月20日(火)23時〜チバテレ「ワイワイ釣らせてもらいます!」は千葉県小湊で腕の差が試される「マルイカ釣り」です。自分から掛けていかないと釣る事が出来ない難易度が高い釣りですが果たしてワイ釣りファミリーは全員キャッチ出来たのか!?是非ご覧下さい。
#ワイ釣り #マルイカ #小沢丸 pic.twitter.com/oiuCySmFSo— (公式) 響FishfishgirlsオテンキGOのワイワイ釣らせてもらいます (@hibikifishgo) June 20, 2023
響お笑い芸人の現在:目次 | ||
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ピーク時の年収 | 響のネタ | ダイエット |
ラーメン関連 | 自分の収入ほぼ0 | 今は農業? |
結婚・嫁 | 小林の店が凄い | 芸人収入0!? |
小林、実はスネ夫ぐらい金持ちだったが、父親が弾けた話 |
響の小林:金持ちだったのに貧乏になった話
響の小林の父親は、経営者だった。かなりのやり手で、スイミングスクールを経営しており、その数なんと8軒。家はでかく、近所の人たちからは、「ぼっちゃん」と呼ばれたこともあった。
ファミコンは欲しいものは全部買ってもらい、1度に4本買いなんて普通だった。漫画を読みたいと言ったら、タイトルを言うと全巻買ってもらっていた。風呂は11畳に、サウナもついていた。
そんな環境で育った小林は、真顔で「俺は社長の息子だぞ」と言ってしまうような子供になっていた。小林の父を恐れて、誰も小林に逆らわなかった。
しかし、小学校6年生で、バブルが弾けた。バブルの波に乗っていた父親は、大きく弾けて、抱えた負債は10億円を超えた。倒産の報は、地方新聞に掲載されて、父親と一緒にその新聞を読んだという。
そのときの父親は「父さんが倒産、なんつってな」と、とぼけた態度を取っていたが、現実には自己破産していた。定職につかずいろんな職を転々としては家に帰ってくることも少なくなった。たまに帰ったと思えば、「新しい事業をやるから金を貸して下さい」と母親に無心していた。
母親はというと、学校の先生で、堅実に金を稼ぎ、小林の明治大学卒業まで支えてもらった。
そんな堅実な人なので、父親の無心には、居留守で対応していたとか。
この倒産話には後日談がある。
豪邸を差し押さえされて、小林一家は夜逃げをした。当然、地元では話題になった。このタイミングが、ちょうど中学校への進学のタイミングだった。
なので中学校に行くと、顔なじみが同じクラスがおり「いなくなったって聞いたけど、どこ行ったの?」と聞かれたという。小林は、言葉を濁すしかできずに気まずかったようだ。