大人気番組「マネーの虎」の中心人物、大いに番組を盛り上げてくれた堀之内九一郎こと、堀之内社長。
堀之内九一郎の現在だ。今何してるのか?破産して云々の話、その後の話。
その前に、堀之内九一郎の経歴やマネーの虎時代からをかるく振り返っていく。堀之内九一郎、想像より遥かに苦労してきた人のようだ。
堀之内九一郎の生い立ちが波乱万丈すぎてエグイ
〇1947-1966裕福な家庭、莫大な遺産、そして無職
1947年10月裕福な家に生まれたかなりのボンボン、8人姉がおり、一言でいうと超絶甘ったれ。1966年両親が亡くなったときには、9人姉弟にもかかわらず2億円の遺産が転がり込んできて、会社を辞めて、家業の雑貨屋を継いだ。そしてすべて女遊びで使い切って、雑貨屋も潰し、無職へ。
〇1967-1982無職からの再起、しかし転落
1967年20歳になると無職だった堀之内九一郎も起業、同年女と結婚する。起業と廃業を40回以上繰り返し、かなり裕福に暮らしていたが、1982年35歳で1億5000万円の借金を抱える。自らの人生を終わらせようとする選択肢を取るも未遂。人生のどん底
〇1983-1985借金まみれでも再再奮起、そしてやっぱり転落
しかし堀之内九一郎は諦めなかった。借金の取り立て屋に、「借金を返すための商売のための金」を借りて、健康食品会社を起業。1億5000万円を3年で返済。そして詐欺に引っかかり倒産。そして女と子供には逃げられる。
〇1985-2004ホームレスから最盛期へ年商102億男
その後、ホームレスとなり捨てられた家電を修理して、お金を稼いでいた。その時の経験を活かし、わずか3年後1988年「リサイクルショップ・生活倉庫」を開店。全国250店舗、年商102億円にまで駆け上がる。この実績により、やり手起業家として「マネーの虎」へ出演
堀之内九一郎、「マネーの虎」では
〇最長出演&最低出資回数
堀之内九一郎は3年という最長出演を果たした経営者だが、出資回数はわずか3回しかなかった。堀之内九一郎は「希望者のレベルを絞ったほうがいい」と番組に提言するなど、ほとんどの人間は出資するレベルに達していなかったと考えていたようだ。しかし堀之内九一郎も情にほだされて出資することもあった
〇美人には投資する
堀之内九一郎は番組内で投資先を出資回数が少ない理由に「経営の資質が無いと・・・」と言っている。そして元ミス着物の美女には光の速さで出資を希望する。
経営内容なんて関係ない。綺麗な女やああああああああああ。
「結婚しているの?」なんて聞いてにやついたりしてしまう。チンパンジー。若いころ、女遊びで2億円使った過去もあるし、綺麗な人で、ちんぱん脳になる気持ちはすごくわかる。僕なら番組終わったあと、楽屋から逃がさない。
〇出資の才能は無い
堀之内九一郎が出資した3人は3人とも破産していて、成功している人は1人もいない。絞って投資しているのに、それじゃあ意味がない気がするが・・・。
しかしながら、よくよく考えれば、堀之内九一郎は投資のプロでなく、リサイクルショップのプロだ。ビジネスを見極める目は我々よりちょっとうえ程度なのかもしらん。成功を見極める目がバリバリ高いなら、個人的にやるだろうし。だって儲かるもん。
ただ堀之内九一郎が本気で投資しようとしていたハンドメイド家具屋(男)は、現在も大繁盛している。
それでは、堀之内九一郎さんは今何をやっているのか、です