一世風靡セピアのトリビア
- 一世風靡セピアは「前略、道上より」でブレイクした。「新人時代には先輩やスタッフに好かれるようにしなさい」とは芸能界で生き残るための教えがある。一世風靡セピアが「夜のヒットスタジオ」で先輩や大御所と一緒になったときには、「真ん中の階段をメンバーで降りてくるように特別待遇にしろ。じゃなきゃ出ない」と要求している。彼らの当時のオラオラは一切演出ではなかった
- 視聴率50%を超える化け物番組「紅白歌合戦」でさえ、特別待遇を要求している。「俺たちがNHK前広場で寸劇をやるから、生中継をしろ」NHKはこれを拒否。一世風靡セピアは「じゃあ出ない」と本当に出なかった。しかしメンバーの中では、「こんなに舐められて出てたまるか」派と「紅白なんだから出てえよ」派で割れていたとか
- 哀川翔はちゃんと怖い人だった。光GENJIの諸星らと一緒にいた時に、50人を超える暴走族に囲まれたことがあった。哀川翔は「お前は有名人だから車の中にいろ」と言い残して、暴走族に向かっていた。哀川翔もすでに有名だった。「もう帰った方がイイよ、君たちは」と哀川翔が言うと、その場をきれいにおさめることができた。この話の情報源は、プロインタビュアーの吉田豪である
- 哀川翔は、「六本木で1番元気な男」として知られていた。飲み屋をハシゴする際には、暴走族を使っていた。「ちょっとあそこまで載せて行ってよ」と声をかけると連れて行ってくれたらしい。暴走族側からすると、「え、こいつ誰・・・でもすごく自然に声かけてくるし見た目も厳ついし本職の人かな。乗せた方がイイよな」となるようだ。
- 一世風セピアのメンバーはみんな我が強かったので、喧嘩は日常茶飯事だった。哀川翔は当時、メンバーの松村冬風と仲が悪かったと話している。喧嘩が始まると、激しすぎて服をびりびりにする芸人みたいな喧嘩もした。あまりにもひどいので、タオルで片手を縛って喧嘩をする制限ルールを設けたとか。
- 柳葉敏郎は自身のコンサートに向かう途中、一世風靡セピアの無許可グッズを並べた的屋を見つけた。柳葉敏郎は誰に許可撮ってるんだと怒ってグッズを全部取り上げて楽屋に持っていった。しばらくすると、ホンマモンが楽屋にまで押し寄せてきてしまう。柳葉敏郎はさすがにヤバいと思ってトイレに逃げて、他のメンバーに仲裁してもらった。