河合その子は、おニャン子クラブ当時、かなりすごい経歴をたどっているし、とにかく画像もかわいい。
河合その子は、現在の旦那となる作曲家の後藤次利と結婚している。今も離婚していない。
河合その子の現在もすごく美しいと話題になった。昔の動画が掘り返されて、河合その子が面白いと話題になっている。
河合その子の現在ふりかえるとめちゃくちゃすごかった昔【画像・国籍ハーフ】
〇河合その子、中国とフランスのハーフ
河合その子は、日本人離れしたくっきりとした容姿を持っていて、デビューして4カ月目には「フランスと中国のハーフの女の子」と自己紹介でも言っていた。「永遠の少女、河合その子です」「歌うリカちゃん人形」ら、自己紹介のフレーズはいろいろあったが、どれもそれを自称するのを許されるほど芸能界でもずば抜けてかわいいアイドルだった
〇河合その子、誰よりもやる気がなかった
河合その子はデビュー当時、コンピューター専門学校に通っていた河合その子は、すでに就活を終えて内定をもらっていた。働く準備をしながらゆっくり過ごしていた河合その子は、「夕焼けニャンニャン」のオーディションコーナーに出てほしい誘いを受ける。
もちろん芸能人になる気なんてさらさらなかった河合その子は、何にも準備をせずに、「原宿には買い物に行きたいし、べつに良いかな」とテキトーに返事をして、出演を決めた。そして合格。当時の最高得点である140点、全オーディション参加者歴代2位の記録で合格を決めている。
〇河合その子、よくわからないまま人気番組の最古参メンバーへ
河合その子が出演した「夕焼けニャンニャン」は、1985年4月1日スタートで、河合その子は4月1日から参加して合格して、レギュラーとなった。
この番組は、全573回平日17時台にやっていた他のどの番組よりも視聴率が高かった。そんな番組で誰よりもアイドルとして注目を集め続けたことが、河合その子のその後の人気を支える結果ともなっている
〇バイト感覚の河合その子、厳しいおニャン子クラブの世界で
河合その子は、アイドルとしてのモチベーションはそこまでだった。
しかし楽しくはあったので、ソコソコ頑張っていた。周りはアイドルになりたくて入ったかわいいアイドル達が大勢いた。おニャン子クラブ屈指の人気を誇っていた国生さゆりは応募総数18万人を超えるミス・セブンティーンコンテストを勝ち抜いてスカウトされた強者だった。
河合その子は、ライバルたちの中、誰よりも特別扱いされていた。おニャン子クラブの中で1番最初にソロ活動を始めたのも河合その子だったし、1番人気だったメンバーも河合その子だった。
〇河合その子、おニャン子クラブの派閥争いで
おニャン子クラブでは、新田恵利派閥と国生さゆり派閥があったのは、有名な話だ。2人はとんでもなく仲が悪かった。
一方、河合その子はなんにもしてなかった。新田恵利と国生さゆりの両方と仲が良かったようだ。特に新田恵利は「バイト感覚でおニャン子クラブに入った」と言っていることもあり、シンパシーを感じていたのかもしれない
そして、河合その子は結婚する
河合その子、現在の旦那、後藤次利と結婚する
〇河合その子の現在の旦那:後藤次利とは
芸能界にやまほどいる作曲家の1人。
やまほどいる中で頂点の1人だ。担当した芸能人は、おニャン子クラブ、中森明菜、シブがき隊、近藤真彦、一世風靡セピア、工藤静香、とんねるず、八神純子、中島みゆき、沢田研二と有名どころの作曲編曲を数多く手がけている大人物である。当時は、秋元康と2人でゴールデンコンビと呼ばれて有名だった。
現在も多用される頭サビ(できるだけ早くサビに入ることで多くの人がサビを聞く機会が増えて、曲に興味を持つ人も増やす手法)を普及させたなど、作曲家への影響力もすさまじい人物である。
現在の後藤次利も「ベースの神様」と呼ばれるほど尊敬されている人物として活躍している。人気YouTubeチャンネル「貴ちゃんねる」(とんねるず石橋貴明)の企画に参加するなど、表と裏と両方で活躍し続けている。
〇河合その子、結婚後は引退
河合その子は、1990年頃25歳ぐらいからは芸能界でほとんど活動していなかった。
「わたしはしばらくのあいだ、この世界から離れて私なりに過ごしてみたいと思います」と言葉を残して、活動休止状態だったのだ。そしてそのまま結婚、表に出てくることもなく、芸能界を引退した。
その後は、休止宣言から13年後におニャン子メンバーの「いいとも」出演に花を贈ったぐらいで、芸能界にまつわる活動を一切していなかった。
そして河合その子の現在や子供の話につながっていく
河合その子の現在【画像、子供】
河合その子の現在の画像や、子供の話を見ていく