パクチソンの現在はストイックすぎて大学で経営を学び、Kリーグへ【マンUの韓国人英雄の凄さ】

パクチソンの現役時代の凄さが、偉大過ぎて興奮できる。

パクチソンは、現役引退後、大学に入って勉強を初めて、現在はそれを生かしてKリーグに貢献している。

パクチソンは現在、美人な元女子アナの嫁と、子供が2人いる。

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パクチソンはこんなサッカー選手、その凄さ:暗黒の学生時代から、マンチェスターユナイテッドで活躍した韓国人の英雄【マンU】

○天才パクチソンの学生時代は、暗黒だった
小学校高学年に入ってからサッカーを始めたパクチソンは、当時から天才的で、高いドリブル精度ら抜きんでた技術をどんどん身に付けて行った。
しかし、パクチソンの学生時代はまったくの無名。韓国サッカーリーグ界隈、そのスカウトの間でもまったく話題にならない一般学生で、一切才能を見いだされていなかった。その1番の要因は体の小ささだった

○身長175cmのパクチソン、子供時代は背が低かった
パクチソンは、周りの子供たちよりも背が低く、スポーツ選手に向いているとは全く思われていなかった。
プロになると思っていたのは、パクチソン、そして両親だった。
父親は、パクチソンに栄養のある食事をたくさんとらせるためだけに転職した。転職先は精肉会社だった。母親もパクチソンの背を少しでも伸ばそうと、時には怪しげな呪術的な飲み物(鹿の血と薬草の混ぜ物)らを積極的に作っていたとか。その結果に、175cmにまで背が伸びているのが、感動的だ。

○パクチソンが、マンUに入った経緯が凄すぎる
パクチソンは、オランダリーグのPSVアイントホーフェンの主力選手として活躍する選手だった。パクチソン在籍の3年間のうち2年で、リーグ完全優勝を達成している。
さらにオランダリーグの代表として、UEFAチャンピオンズリーグに出場すると、予選→グループリーグ→決勝トーナメント→準々決勝と勝ち上がっていき、準決勝でセリエAのACミランと戦った。パクチソンは、ACミラン相手に臆するどころか、何度もディフェンスラインを引き裂く大暴れ、最終的には先制ゴールを奪うなどの大活躍をする。チーム自体は負けてしまったが、パクチソンというアジア人が、名門ビッグクラブに通用しているのは明らかだったこともあり、世界中で話題になった。この偉業に、UEFAの世界年間ポジション別MVPに、ロナウジーニョやエトーらとともにMVP候補にまで選出されている。

才能あふれる韓国人スターをビッグクラブが放っておくはずもなく、パクチソン獲得に動き出し、最終的にマンチェスターユナイテッドに移籍することになる。

○マンチェスターユナイテッド移籍当時のファンの反応
アジア人が、プレミアリーグの名門ビッグクラブ【マンチェスター・ユナイテッド】に移籍したとき、多くのファンは歓迎してくれた。しかし同じぐらい、イギリスのサッカーメディアからは、懐疑的な考えが主流だった。当時、プレミアリーグに参加したアジア人は何人もいたが、成功した例は1人もいなかったからである。「パクチソンはアジア人サッカー選手という広告塔なのではないか?」という説が、平気で通っていた。歓迎しているファンたちも、やはり大活躍するとは思っていなかっただろう。そういう前例がなかったからだ。当時のマンUには、ルーニーやクリスティアーノロナウドがいたのだ。無名のアジア人が活躍するとは思われていなかった。そして、パクチソンは実力でわからせる。

○マンチェスターユナイテッドでのパクチソンの実績

  • パクチソンは、移籍した2005年-2006年シーズンの開幕戦から先発として初出場、その無尽蔵の体力で試合を通して走り続けられるタフネスと献身的なプレーでマンUに大きく貢献した。ファーガソン監督の信頼を得たことで、シーズン38試合中33試合に出場、2得点7アシスト。シーズン中盤に入る前にすでに、マンUサポーターそしてライバルからも、素晴らしい選手であることを知らしめている
  • UEFAチャンピオンズリーグ2007-2008で、準々決勝ASローマ、準決勝FCバルセロナの全試合にフル出場、決勝でも勝利して、アジア人初のUEFAチャンピオンズリーグ優勝のタイトルを獲得
  • その後もマンUのレギュラー選手として活躍して、2010-2011シーズンではプレミアリーグを制覇。この優勝で、リヴァプールの18回優勝の記録を更新、パクチソンはプレミアリーグ最多優勝記録を更新したメンバーとなった。
  • パクチソンがいた2005年から2012年までの7シーズンのマンチェスターユナイテッドの順位は、1位5回、2位3回とめちゃくちゃ強かった。そしてパクチソンが抜けてからの7シーズンでは1度しか1位を取っていない。それぐらいパクチソンがいた時期のマンUは最強であり一時代を築いており、その一時代を築いたビッグクラブの主力選手の一員だったのが、パクチソンである
  • 現在にいたっても、イギリスメディアは「マンU史上最高の背番号13番」としてパクチソンの名をあげている。さらに2014年からマンチェスターユナイテッドの公式アンバサダーとしての活躍も続いている。

パクチソンの現在は、韓国サッカーリーグ”Kリーグ”で、スポーツディレクター

○パクチソン、Kリーグに貢献したくて大学へ
パクチソンは、2014年に現役を表明した。しばらくはのんびりしていたが、サポートしてくれた人々に恩返ししたいと常々言っており、2016年には韓国サッカーリーグの運営に携わることを考えて、イギリスのデモントフォート大学に入学して、スポーツマネジメントを学んでいる。
一般的にはあまり知られていないが、デモントフォート大学は、スポーツ競技におけるビジネス経営を学ぶなら欧州1と言われており、パクチソンは今後の人生を考えるならココが最適だと判断したようだ。

○パクチソンは現在、韓国1部・全北現代に加入
2021年から、パクチソンはKリーグの強豪”全北現代”のアドバイザーに就任した。もともとは1年契約だったが、その活躍が認められて、現在ではテクニカルディレクターとして、全北現代で活動している。元は”アドバイザー”という立ち位置だったが、現在では選手団構成の総括や、AチームBチームの運営や育成、選手評価の作成など、チームの根幹に携わって活動している。

パクチソンの現在:嫁は美人だし、子供もカワイイ

動画は、2021年に、パクチソンと奥さんと2人の子供が暮らす家で撮影されたものとして、韓国でめちゃくちゃ話題になった動画だ。再生数は800万を優に超えており、現在のパクチソンとその家族を見ることができる

○パクチソンの奥さんは、美人女子アナ。2人の出会いが面白すぎる
パクチソンの嫁、キムミンジは、韓国の大手テレビ局SBSのアナウンサーだった。
2人の出会いは、新人女子アナによるスポーツ選手へのインタビュー、かと思いきや、まさかのパクチソンの父親の紹介で2人は出会っている。父親は、余計なお世話を働かせて、「いい人がいるから会って見なさい」と何の前触れもなく、紹介してきたらしい。もちろん2人が出会ってからも交際に発展することはなかった。しかし面白い出会いだっただけに交友関係は続けていて頻繁に連絡を取り合っていくうちに、パクチソンにとっての1番の理解者が、奥さんになっていた。
2人の出会いから2年後の2013年ついに交際に発展、その1年後に結婚している。

○パクチソン、デートスクープを取られるも信じてもらえない
交際中には、パクチソンとキムミンジのデートの様子が、スクープされたこともあった。
しかし、その日は、ブラジルワールドカップ最終予選の韓国代表イラン戦であり、さらに敗北を喫した屈辱的な日だったこともあり、「今の韓国代表がふがいない日に、英雄がデート?」「タイミングが良すぎる。ヤラセだろ」「パクチソンに何をさせてるんだ」と、パクチソンが神格化されすぎて、変な解釈をされることになった。後日、公式に認めたうえで結婚している。

○パクチソンの子供
パクチソンは、2015年11月に長女、2018年2月に長男が誕生している。

パクチソンの現在の年齢は、43歳(1981/3/30)
奥さんのキムミンジの現在の年齢は、39歳(1985/8/14)