【Rローズ】ロバートローズの現在が、現役時代と真逆すぎるw【今何してる】当時の成績も振り返る

ロバートローズの現役時代の逆転劇が凄すぎた。

ロバートローズの退団引退の話が、今見ても面白すぎるし、かっこよすぎる。

ロバートローズは現在、現役時代と真逆だった。

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ロバートローズはこんな野球選手:インタビュー嫌いで、最強の助っ人外国人【成績】

○ロバートローズ、まったく期待されていなかった
ロバートローズが横浜に来たとき、年棒は約3500万円。首脳陣がロバートローズに求めていたのは、守備だった。

3割なんて誰も期待していなかったし、HRもない。打撃はダメでも、守備で貢献してくれたらいい。期待はせずに、どうせ2年契約だからその間の穴埋めしてくれたら最低限問題ない、それがロバートローズだった。同時期に横浜ベイスターズに入った助っ人外国人グレングラッグスのオマケなんて呼ぶ人もいた。

○ロバートローズ、初年ベストナインへ
ところが、シーズンが始まるとロバートローズは、抜群のミート力を見せつけた。その打撃力は他に類を見ないほどで、シーズン中、つねに首位打者と打点王争いの中にいた。

そしてロバートローズが横浜にいた8年間、打率3割を下回ったのは、2年目の.296だけ。4525打席で通算.325という神がかりな記録を残している。
8年間の成績を全体を見ても、安定感抜群だ。

1993:打率.325 HR19 打点94 出塁率.389 長打率.527 OPS.917
1994:打率.296 HR15 打点86 出塁率.362 長打率.455 OPS.817
1995:打率.315 HR22 打点97 出塁率.379 長打率.530 OPS.909
1996:打率.304 HR16 打点86 出塁率.370 長打率.472 OPS.842
1997:打率.328 HR18 打点99 出塁率.444 長打率.540 OPS.984
1998:打率.325 HR19 打点96 出塁率.413 長打率.526 OPS.938
1999:打率.369 HR37 打点153 出塁率.439 長打率.655 OPS.1093
2000:打率.332 HR21 打点97 出塁率.419 長打率.538 OPS.957

とくに1999年は圧巻で、打点153は2位のペタジーニを41点突き放しての打点王となった。打率も、右打者では史上最高打率だ。そんな球界の歴史上でも随一の安打製造機だったロバートローズは、他にも面白い記録を残している。たとえばサイクルヒット通算3回達成は、プロ野球の歴史上ロバートローズしか達成できていない。

では、なぜこれほどの成績を残すことができたのかという、ロバートローズは、とんでもなくストイックであることで知られている

ロバートローズの現役時代の性格がストイックすぎる【Rローズ】

○Rローズ、日本語を絶対に覚えない
日本人にしろ外国人にしろ、海外で働くとあっては、その国の言語を勉強する。出来るだけその言語でコミュニケーションを取ろうとするとか、毎日座学で勉強するとか、語学教師を雇うとか、程度の差はあれど、学ぼうとするだろう。

ところが、Rローズは格が違った。Rローズは、「自分の仕事はグラウンドの上で成果を上げること」「日本語を学ぶことは自分の仕事ではない」と考えて、まったく日本語を学ぼうとしなかった。もちろん日本語でコミュニケーションも取ろうとしない。

では、なぜそこまで露骨に日本語を学ぼうとしなかったのかというと、「野球で成果を上げ幼稚してる人間が、日本語を学ぼうとするなんておこがましい。野球に集中するべきだ」と本気で考えていたらしい。嫌なやつとかではなく、シンプルに野球以外のことに労力を割かないようにしていたわけですな。ストイックすぎる。

○Rローズ、インタビュー嫌いな理由もストイックだから
Rローズと言えば、インタビューを受けないことで有名だった。そのためマスコミ嫌いやインタビュー嫌いなどと言われている。そしてその理由も、野球に専念するためだった。

「日本に来たのは野球で結果を残すため、断じてテレビに出て笑ったり談笑したり、雑誌でインタビューに答えることじゃない」「もし、インタビューの準備に手間を取られて、野球の練習時間が削れたらどうする?・・・インタビューは受けるべきじゃないだろう」

そう本気で考えていたRローズなので、試合以外の依頼は無数に来たが、そのすべてを断っている。もちろん高額の報酬を提示されることはあっても、内容すら聞かないで門前払いである

○Rローズ、日本に来た時に決意も極端すぎる
実はこれほどストイックだったRローズが日本の地を踏みしめた時に、1つの決意をしている。日本について飛行機を降りたRローズは、「この地での野球人生にすべてをささげてそのほかのありとあらゆる物事に興味を持たないようにしよう」そう思いながら空港を出た。

ちなみにRローズは、試合が終わるとまっすぐ帰宅、遊びに出た日は1度もなく、六本木ら繁華街に足を踏み入れたことすらないと言われている

これほどまでにストイックだったからこそ、最初から最後まで一切成績が崩れずに最高の打者であり続けたんだろう。

ロバートローズの退団理由が面白すぎるし、かっこよすぎる【Rローズ】

○ロバートローズ、横浜からの退団理由
ロバートローズの横浜現役最後の年の成績は、2000年の打率.332 HR21 打点97 出塁率.419 長打率.538 OPS.957。年齢も33歳とまだまだ現役続行可能。
年棒が高額であろうとも引く手あまたのロバートローズは、野球人としての全盛期において、野球をやめることに決める。

○ロバートローズ、心の中のパパに専念する
ロバートローズが野球をやめることにしたのは、娘が原因だったと言われている。あるときロバートローズは、娘が知らないうちにブラをつけるようになっていたことを知った。何も聞かされていなかったパパは、それはもう衝撃を受けた。「自分の知らない間にも子供が成長していることは素晴らしい。でもずっと放ったらかしにしていたってことではないのか?」そう考えたロバートローズは、持ち前のストイックさを発揮して、「家族と一緒に過ごす」以外のことを切り捨てることにした。こうして、ロバートローズはアメリカに帰国して、家族とゆっくり過ごす日々を2年ほど送る。そしてロッテに復活する

○ロバートローズ、ロッテ移籍、そして最速退団記録
ロバートローズのロッテ最速退団は、ネタにされることが多い。入団から28日後のキャンプ中での退団は最速記録。しかも紅白戦は3試合で8打数無安打と振るわなかったこともあって、「復帰してみたけどうまくいかなそうだからやめたんだろ」という印象が強く残っている。

ところが、ロバートローズが退団を決定した本当の理由は、野球と同じぐらい大切な存在の家族だった。ロバートローズは家族みんなで来日して、千葉で暮らしていた。もちろん子供たちは千葉の学校への通い始めた。そして学校になじめずに、登校拒否になってしまう。外国人の多い横浜とは違い、千葉は子供たちには合わなかったのだ。妻もどんどんネガティブになっていきアメリカに帰りたがるようになった。だからこそロバートローズは、アメリカに帰ることを決めた。

紅白戦の8打数無安打もたまたまだ。キャンプが始まると、いつも誰よりも早くグラウンドにやってくるのはロバートローズだったし、チーム練習の前に追加の練習メニューを消化していた。それを毎日していたことで、チームメイトの士気も高まっていたという。

自分が叩かれたとしても退団を決意したのは、家族のためだった。だからこそロバートローズは、退団会見で言った。「退団理由は野球に対する情熱がなくなったから」家族のせいにしない熱い男、それがロバートローズである。

※他にも、ロバートローズ退団理由には、「キャンプや紅白戦で、自分の体がついていけていないという感覚があった。これを隠して試合に出てもいい結果は残せないだろう。自分のためにもチームのためにも、決断は早い方がいい」と考えたからということも語っている。いろいろ事情が重なったわけですな。

ロバートローズの現在が、現役時代と真逆すぎる【現在の画像も】

○ロバートローズ、インタビューはもちろん受ける
ロバートローズは、現在、普通にインタビューを受けてくれるらしい。現役時代にストイックすぎてインタビューをかたくなに受けようとしなかったのは本当らしかった。

○ロバートローズ、56歳でついに日本語を学び始める
さらに、現在ロバートローズは、スマホアプリを使って、日本語の勉強を始めたらしい。
きっかけは、2023年6月のイベントだった。ロバートローズは、10年近く日本に来ておらず日本はもちろん日本野球ともすっかり疎遠になっていた。そのため、イベントが終わったら日本を観光してまたアメリカでの生活に戻るだろうと考えていた。しかし、いざ来日してみると、大勢のファンが集まって自分の顔を見ることができたことに大喜びしてくれた。それが衝撃的で、きこくしたロバートローズは、あの人たちのために何かできることはないだろうかと考えて、その1つが日本語を学ぶことだった。

そして現在は、娘の熱心な説得からSNSを始めている。

奥さんも娘さんもめちゃくちゃ美人である。

○ロバートローズ、現在はコーチを
ロバートローズは、帰国後、高校で野球のコーチをしてのんびり過ごしていた。しかしレンジャースから声が掛かり、傘下A級ヒッコリー・クロウダッズのコーチに就任。その後もオリオールズ傘下A級デルマーバ・ショアバーズ打撃コーチ就任など、プロ傘下のコーチをしている。

○ロバートローズ、生真面目すぎてお金全然使ってない
ロバートローズは、1993年に年棒3600万円で入団し、2000年には3億4000万円、生涯年棒は12億円にもなる。
そして、ロバートローズは野球にストイックになりすぎてまったく遊ばず散財をしないので、貯金もあった。にもかかわらずロバートローズが今もコーチ業を続けているのは、ストイックな男なだけあって教えることが好きなのである。

 

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