高部知子の現在【昔の喫煙ニャンニャン事件が理不尽すぎ】積木くずし

高部知子は昔、えげつないほど女優としてブレイクしていた。

高部知子は、誰よりも高く舞い上がり、誰よりも低いところまで落ちた。

高部知子は現在、芸能人をさっさと引退してよかったと思えるほど精力的に働いている。

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高部知子は、若い頃、女優としてすべてを持っていたのに【昔】

〇高部知子、超メガヒット清純女優
高部知子のデビューは映画「ガラスのうさぎ」だった。主演ではなく、メインキャストでもなく、主演の級友役でちゃんと脇役だった。ところが、芸能プロダクションの目に留まり、翌年にはテレビドラマ版「ガラスのウサギ(NHK)」で主演に大抜擢を受ける。

高部知子の若い頃

若くてかわいい少女が芸能界に入った場合、アイドルのように扱われ、普通は1年、2年持てば万々歳である。

高部知子の人気は右肩上がりだった。
ブレイクの2年後には10年続いたバラエティ番組「欽ちゃんどこまでやるの!?」の萩本家の3人娘の長女に任命を受ける。そして、超メガヒットドラマ「積木くずし」で主人公を演じることになる。

〇高木知子の「積木くずし」が予想の遥か上
時代ごとに大ヒットドラマは存在する。視聴率40%を超えた「半沢直樹」がいい例だ。残念ながら「積木くずし」は半沢直樹と同列ではない。なぜなら、「積木くずし」は頂点だからだ。

関東地区のビデオリサーチ最高視聴率ランキングは次のようになっている。

1位1983年 積木くずし 45.3 TBS
2位1979年 水戸黄門 第9部 43.7 TBS
3位2013年 半沢直樹 42.2 TBS
4位2000年 ビューティフルライフ 41.3 TBS
5位1979年 熱中時代 40.0 日本テレビ
5位1979年 太陽にほえろ 40.0 日本テレビ
5位2011年 家政婦のミタ 40.0 日本テレビ

つまり日本の歴史上、最も注目を集めたドラマで主演となったのが高部知子となったのだ。高部知子は、当時もっともブレイクした女優であるどころか、日本の芸能史上もっともブレイクした芸能人の1人だったと言える。

こうして誰よりも高く昇っていった高部知子は、もっとも長い距離を落下していくことになる。ニャンニャン事件が勃発する。

高部知子のニャンニャン事件が、理不尽すぎる

〇高部知子、考えうる最悪な写真が流出
始まりは、写真週刊誌【FOCUS】に掲載された写真だった。
スキャンダルの教科書に載っていそうなほど、致命的な画像である。

高部知子のニャンニャン事件

このときの高部知子の年齢は15歳だった。高部知子のイメージは不良役をやっていたとはいえ、清純な少女タレントだった。この写真は高部知子にとって、女優として終わらせるに足る威力を持っていた。テレビ、CM、映画、予定されているスケジュールはすべてキャンセルになった。堀越高校も無期停学になっている。

しかし高部知子の人気は、スキャンダルよりもすさまじかった。

当時の高部知子のイメージは大変良かったこともあり、「写真は悪ふざけで撮ったもの」「本当にやっているなら、女優が自ら進んでこのような写真を撮るはずもない」という事務所の発表に対して多くのファンがそりゃそうだと納得した。もちろん異を唱える意見もあったが、大勢は高部知子のことを信じた。

世間の様子を見れば、高部知子の復帰も可能だと思えるほど好感触だった。これでやっと片付いたと事務所は考えていた。「事件収束に追われていたが、あとは事態が落ち着いた後の高部知子次第だ」悲観しなくても大丈夫だろう。しかし、事件は急展開を迎える。

〇高部知子の写真持ち込み者がなくなる
理由は、圧力と言われている。芸能事務所ばかりではなく、高部知子のファンからも恨まれたと。日本史上もっとも注目度の高かった若い女優を貶めるような写真を持ち込んだことによって多方からバッシングと嫌がらせを受けていたのではないかと推測されている。持ちんだものに事情があれば別として、そもそも高部知子のスキャンダルで金を儲けようとした彼に、容赦ない圧力がかかっていたという話だ。

〇高部知子の暴露本で、認めている
高部知子は事件翌年にベストセラーになった暴露本「はんぱしちゃってごめん」を出している。著書では写真を撮った男性とは交際関係にあり喫煙をしたことを認めている記述がある。
が、そんな事実はない。驚くべきことに、高部知子はこの暴露本についてほとんど関与していないのだ。事件の取材の中で得た情報を記者が勝手につぎはぎしたものにもかかわらず、自著として出版されたらしい。理不尽すぎる時代だった。

高部知子の復帰、事務所は大いに期待をしていた。

〇高部知子、連続ドラマ主演の復帰
大変なスキャンダルだったにもかかわらず、翌年にはTBS連続テレビドラマ「転校少女Y」に主演となった。当時の高部知子のネームバリューに、テレビも事務所も大きな期待を寄せていた。
しかし、結果は振るわず視聴率は普通、高部知子=高視聴率という構図は生まれなかった。
次第に、CMも減っていき、ドラマ主演もなくなっていき、脇役からゲスト出演へとどんどん格下げしていった。若くてきれいな女優だったので歌手デビューをしてみるも、話題にもならなかった。

〇高部知子、結婚から引退
高部透子が引退したのは1989年22歳。幼馴染の男性との結婚を機に、引退を決意する。
高部知子と旦那は、コンビニエンスストアを夫婦で経営していた。そして2人の子供をもうける。
その後数年後には離婚。その後再び結婚して、やはり離婚してしてしまう。

高部知子、現在につながる分岐点、大学へ

高部知子は、結婚を機に引退したが、本当の理由は結婚ではない。
実は結婚後に出産した長女に、心臓の奇形が見つかったことで、育児に専念するべきだと決意したという。

そうして長女を育てながら、空いている時間に勉強も始めた。いろいろ考えたかが、精神保健福祉士を目指すことに決めた。

 高部知子が、精神保健福祉士を目指すきっかけとなったのは、学校の恩師だった。
高部知子が謹慎中、頻繁に相談に乗ってもらっていた人だ。「自分に何の希望も持てない。どうすればいいのか」相談の中で、恩師と反省ノートのやりとりをするようになった。何の意味もないと感じるノートのやりとりに、次第に励まされいつのまにか前向きになれていたという。
この時の経験を機に、高部知子は精神保健福祉士を目指そうと考えた

高部知子の現在【慶應大学からカウンセラーへ】

〇高部知子、芸能界なんて辞めて正解
高部知子は、慶應義塾大学文学部通信教育課程に入学して、2005年に卒業した。
実は、ここに入るのは全く難しくない。試験を受ければ誰でも入れるぐらいだ。難しいのは卒業で、極めて難易度が高く、卒業できる人間はたった3%。高部知子は猛勉強を続けて、慶應義塾大学文学部哲学科を卒業、自分キャリアを進めていく。

〇高部知子、カウンセリングケアの道へ
高部知子は慶應を卒業すると、2年後、東京福祉大学セイン新保険福祉士養成コースを修了、目標通り精神保健福祉士の資格を取得した。現在の高部知子は、勉強熱心な性格が爆発しており、浄土宗に入門してみたり、CBTストレスカウンセラーになったり、東京都認定薬物専任講師を取得して、国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所薬物依存薬物専門課程修了と、次々に新しい技術と知識を取り入れていった。
現在では、「精神保健福祉を学ぶための塾を作る」ことを目標にしている。

現在の高部知子の年齢は、57歳(1967/8/25)

高部知子の現在

〇高部知子の現在
現在の高部知子の活動は、「薬物依存の人に対するカウンセリングや指導、講演活動」「浄土宗西山深草派教師として指導」「全国の精神医療福祉関連施設にて、薬物依存や認知症の方のためにカウンセリング」「女性のための依存症施設でカウンセリング」と学んだ内容を全部仕事にして精力的に働いている。

つづいて、高部知子のトリビア、裏話を見ていく。トリビアらには現在の高部知子の話もある

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