ブリリアントグリーン川瀬智子の「うえっ!?」な現在【ブリグリ:ボーカル】

突然現れて、話題をかっさらった激うま美女ボーカルを有して人気を博したブリリアントグリーン(略してブリグリ)。

特に、ボーカルの川瀬智子は、その容姿から男性人気も高く、今なお「ブリリアントグリーンの川瀬智子よりかわいい女っているの?」と言ってる人もいるぐらいだ。さらにファッションセンスが高いことからも、女性からもカリスマ的な人気があった。

そんな人気歌手だったブリリアントグリーン川瀬智子は、現在何をしているのか、昔も軽く振り返りながら見ていく。

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ブリリアントグリーン川瀬智子:「そんなストーリーだったの!?」な山あり谷ありなヒット経緯

〇ブリリアントグリーン、高学歴男2人とギャル
偏差値66の進学校、京都市立柴野高等学校でクラスメイトだったのがメンバー2人の奥田俊作と松井亮だ。
一方の川瀬智子は、偏差値40代の一般的な明徳商業高等学校出身のギャルで、ギャルらしくアパレルで働いていた。
ある日、クラブで歌っていた川瀬智子と出会った二人は、その歌声に惚れて、スカウトしたらしい。デビューした川瀬智子はその容姿で話題になるぐらいだったし、歌声もすげえとなったら、野良のアマチュアシンガーとしてSSRに見えたんだろうな。

〇ブリリアントグリーン、高学歴男2人とギャル
偏差値66の進学校、京都市立柴野高等学校でクラスメイトだったのがメンバー2人の奥田俊作と松井亮だ。
一方の川瀬智子は、偏差値40代の一般的な明徳商業高等学校出身のギャルで、ギャルらしくアパレルで働いていた。
ある日、クラブで歌っていた川瀬智子と出会った二人は、その歌声に惚れて、スカウトしたらしい。デビューした川瀬智子はその容姿で話題になるぐらいだったし、歌声もすげえとなったら、野良のアマチュアシンガーとしてSSRに見えたんだろうな。

〇ブリリアントグリーン、男二人もちゃんと有能
ブリリアントグリーンのメジャーデビューは、結成から2年も経たずに達成している。結成して間もなく録音したデモテープが、音楽関係者の間で話題になって、ソニーレコードという大手レーベルと契約することになったのだ。メジャーデビューまではまさにとんとん拍子。しかし、音楽業界はそんなに甘くはない。

〇ブリリアントグリーン、前途多難な1st2ndシングル
メジャーデビューを果たしたブリリアントグリーンの1st2ndシングルの売り上げは1万ちょっと。ヒット歌手としては数十万は最低でも欲しいところなので、幸先はかなり悪い。売れなかった理由は、かなり明確で、全部フル英語の英語歌詞だったからだ。

「Bye Bye Mr.Mug」は、ブリリアントグリーンのファーストシングル。
事務所側は「日本語で書けば、もうちょっと売れるか?」と考えて、日本語で書かせるために、とある仕事を持っていく。

〇ブリリアントグリーン、デビュー当時の「歌手売り方テンプレート」
とある仕事とは、タイアップ商法だ。
当時は、テレビドラマの人気がとんでもなく高く、今よりもはるかに視聴率が高かった。今ではありえないが20%平均なんて当たり前だったのだ。そこを利用して、売りたい歌手に主題歌を書かせるタイアップ商法が主流だった。つまりは、ブリリアントグリーンは、「売れっ子歌手の王道ルート」に乗っかったってことだ。順風満帆あとはタイアップ曲を作るだけと思いきや、ここで、ブリリアントグリーンに大きな問題が発生する。

〇ブリリアントグリーンのタイアップドラマ大爆死
当時のドラマは、30%越えで大ヒット、20%は当たり前で、15%になるとダメドラマなんて言われていた時代だ。そしてブリリアントグリーンのタイアップしたドラマ【ラブアゲイン(1998)】は、なんと初回視聴率9.5%と最悪の結果しかもそこからさらに右肩下がりで、最終的には9話打ち切り。異例の平均視聴率は7.2%をマークしてしまった。当然ドラマが見られないと、主題歌も売れにくくなる。タイアップしたブリリアントグリーンに暗雲が立ち込めた。かと思えた。
というのは、この大大大爆死ドラマの主題歌は、ブリリアントグリーンで1番売れた曲「There will be love there -愛のある場所-」だったからだ。なにがあったのか、それは大爆死ドラマが追い風になったのだ。

〇大逆転、奇跡の踏み台商法に成功
なぜ、大爆死ドラマが追い風になったかというと、視聴率が低すぎてニュースになったからだ。あまりにも視聴率が低いことで、いろんなメディアで取り上げられるようになり、ついでのように主題歌も拡散された。そして、「ドラマは詰まんないのに、主題歌は神やんけ!」と持ち上げられるようになり、ブリリアントグリーンはどんどん売り上げが伸びて、前回の1万枚からいきなり80万枚近く売り上げるにいたった。そして同年に出したファーストアルバム【the brilliant green】は140万枚まで達成。見事な踏み台商法となった。

〇その後は、ブリリアントグリーンとしていったん下降も
ブリリアントグリーンの人気はここから右肩下がりになる。というよりも、ヒット曲以上に売れた曲を出していなかった。もちろんそれは難しいことだが次のヒット曲を出さないと消えていくのも事実。このまま少しずつ衰退してくのかってところに、川瀬智子ソロプロジェクト「Tommy feburary6」が始動した。すると、ブリグリとしての売り上げはさがっていたのに、1stアルバムでいきなり70万枚と、川瀬智子の歌手活動で2番目の売上枚数を記録。この頃から、ボーカルの川瀬智子は、一種のファッションリーダーとして、同世代の女性から高い人気を博すようになった。その後は順風満帆のまま活動休止につながっていく。
これが、ブリリアントグリーンの歌手としての活躍だ。

では昔話もここら辺にして、ブリリアントグリーンの現在を本格的に見ていく。

ブリリアントグリーン川瀬智子:超有能ファッショニスタだった話

〇ブリリアントグリーン川瀬智子、有能バイトだったデビュー前
実は、ブリリアントグリーンの川瀬智子は、高校時代セレクトショップでバイトしていた経歴がある。しかもアルバイトとして優秀すぎて、卒業後18歳の川瀬はすぐに店長にも抜擢されている。京都のセレクトショップで店長をやっていた川瀬智子が二十歳の頃に、高学歴のバンドマン二人がスカウトしたのが、ブリリアントグリーンの結成なわけだ。

〇ブリリアントグリーン歌手時代のアパレルな活躍
川瀬智子のファッションセンスは、歌手になってからも生かされていた。というのは、ブリリアントグリーン、Tommy feburary時代には、PVにも一切スタイリストを使わずに、自分で曲のイメージに合わせて選んで購入していたらしい。そういう努力が、最終的には女性ファンからのカリスマ的人気にもつながっている。当時の川瀬智子は、160cm39度というスリムな体系もあり、功を奏していた。

ブリリアントグリーンの現在

デビューから20年以上たっている現在、ブリリアントグリーンの川瀬智子の現在の年齢は、生年月日:1975/2/6で49歳だ。

歌手
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