ガチンコファイトクラブのTOKIOの存在について
ガチンコファイトクラブに参加していた面々の共通認識として、「TOKIOうぜえ」があったらしい。
TOKIOが悪いわけではない。番組の構成上しかたのない部分だった。TOKIOはガチンコファイトクラブの脚本上「善」の存在。端的に言ってしまえば、ボクシングのボの字もわからないけど、綺麗事は言ってくるやつらである。特に国分太一はでしゃばってくるので、特にうぜえと思っていたようだ。
もうひとつTOKIOをうざいと思う理由がある。それは、TOKIOがどんなめちゃくちゃなことを言っても、竹原慎二に叱られないということだ。
たとえば、二期生脱走時の話だ。同期生は脱走を知っていたが黙認した。国分長瀬が同期生を責めて、網野も一緒になって同期生を責めた。これに対して竹原は、黙認したことを支持して、網野だけに叱責を飛ばした。
国分と長瀬は特に何もなかった。もちろん間違ったことを言ったことに対する謝罪もない。
脚本はあってもすべてが完璧にあるわけではないので、TOKIOもアドリブを飛ばしてきたんだろうし、あいつ滅茶苦茶言ってんぞと思うことも結構あったんだろう。
番組では全シーンを使うわけではないだろうし、番組もTOKIOの印象は、極力悪くならない、むしろ良くなるようにしたはずである。たとえば次のようなこともあっただろう。
「明らかにアレはTOKIOがめちゃくちゃ言っている」というシーンがあったとしよう。どんなシーンになってるんだとあなたが放送を見ると「TOKIOがめっちゃいいこと言った感じになってるwww」編集である。世間の評価はもちろんTOKIO支持、出演者をバカ扱い。これはうぜえとなるのは必至だろう
ガチンコファイトクラブ梅宮成哲の人間関係
梅宮哲と折り合いが悪かった人間といえば、二期生の斎藤だ。
が、二人は沖縄の餅つき大会に二人で仲良く招待されていたことが判明している。仲悪い風、
仲良し。特に梅宮哲は、ガチ暴走族枠の出演者でなく、役者枠の出演者だ。中が悪いのは演出といえる。
ガチンコファイトクラブのヤラセの是非
「時代」これが全てだろう。
当時は、番組の制作方法としてもっとも有効な手段がヤラセだった。ヤラセで「乱闘やトラブル」を起こせば、視聴率が上がる。しかも大問題になって番組が終わることもなかった。
くわえて局からの評価は、視聴率だ。ヤラセをするディレクターの番組評価は上がり、ヤラセをしないディレクターの番組評価が下がる。ヤラセ推進という空気がテレビ局全体で会った。
巨人師匠はヤラセに怒っていたらしいが、現実として巨人師匠の漫才道は視聴率が低かった。
そんな環境の中、ヤラセなんて絶対にダメだ!と貫ける番組ディレクターになるのは、相当な勇気が必要だろう。ヤラセをやらなくて結局数字が取れなければ、誰にも評価してもらえない。綺麗ごとを言う無能ほど哀れなものは無いからだ。
まあそんな時代の番組なので、ヤラセはエンターテインメントの演出、演劇と思うのが無難と言える。
今ではヤラセをすれば一瞬で番組が終わる時代だ。大抵のヤラセは排除されていっている。一方で、あいのりなど恋愛観察系のバラエティーは、視聴者もヤラセと分かっておきながら騙されている節がある。結局視聴者の大部分が受け入れているかどうかが問題なんだろうな。
おわり
