松任谷由実は、現在もなお最前線で活躍し続けている日本が誇るレジェンド歌手だ。現在では、その記録はギネスにも認定されており・・・さらに松任谷由実は現在、AIとのコラボもしており・・・
【ユーミン】松任谷由実はこんな歌手:超実力派すぎた女、4回もブームが来てしまう【凄さ・伝説】
■デビュー当時の経歴を見るだけで、実力派とわかるユーミン
松任谷由実はそのデビューからして、普通の歌手とは異色だった。
高校時代の松任谷由実が事務所に送ったデモテープから、「センスいいなー」と感じた音楽プロデューサーが、作曲家として採用したことが1番最初だった。今では、女性歌手として最も有名な1人だが、そもそも歌手採用じゃなかったのだ。
理由として当時の時代背景的に、ソロ女性シンガーが作詞作曲も全部やって歌手としてデビューして成功した例がほぼなかったので、「松任谷由実を歌手とてデビューさせれば売れる」という考えすら思いつかなかったようだ。デビュー当時の松任谷由実も歌手としてはデビューしていなかったので、特に忙しいこともなく、多摩美術大学に進学している。
しかし徐々にその実力が明らかになっていった結果、歌手としてデビューすることになった。ただそれは数百枚しか売れなかった。やはり当時は、歌番組に出演して知名度を得ないと売れることなどアリエナイ時代だった。そんな大学時代に作った曲が、「ひこうき雲」である。こちらの曲が収録されていたファーストアルバム「ひこうき雲」は、もちろん売れなかった。
■ブレイクの仕方も実力派な松任谷由実
しかし、松任谷由実の実力は、音楽業界と芸能界が放っておかなかった。マネージャーでもないキャスターが松任谷由実の曲に惚れてもうプッシュを始めるなど、いろんなメディアで「最近すごい女性歌手がいて―――」と取り上げられるようになったのだ。その結果、どんどん知名度をあげていった。
そしてついにブレイクしたのが、21歳のとき。TBSドラマ「家庭の秘密」とタイアップした主題歌「あの日にかえりたい」がオリコン1位を獲得したのだ。くわえて、ぶれいくをきっかけに過去に発表した作品も軒並み急上昇。21歳の新人歌手にして、年間アルバム売上3位を獲得してしまう。これが第一次松任谷由実ブーム
■4回もブームを起こしてしまう松任谷由実
実はもともと荒井由実として活動していたユーミンは、1976年11月29日の21歳の時に結婚して、活動名を松任谷由実に改名している。改名や結婚の影響もあり、しばらく不振が続く。しかし5年後、やはり復活、シングル「守ってあげたい」が大ヒットして、その年に出したアルバムも5年振りにオリコン1位を獲得する。
ちなみに第二次ブームの立役者は、角川書店代表の角川春樹だ。「守ってあげたい」は、角川映画「ねらわれた学園」主題歌として、角川春樹本人から直接依頼を受けて書下ろしたものである。
その後のブームは、さらに一味違った。1次ブームから2次ブームの間は低迷があった。第3次ブームまでの9年間については、まったく勢いを失うことなくヒットし続けていた。3次ブームでは、けた違いのステージに上ったことを指して、松任谷由実第3次ブームと呼ばれている。桁違いの数字とは、史上初のアルバム200万枚出荷を達成+1991年にオリコン史上初の初動ミリオン達成である。
そして第4次ブームまでも同じだ。オリジナルアルバム8作連続ミリオンセラーなど、未曽有の記録を打ち出していた第3次ブーム。第4次ブームでは、ついにシングルまでもミリオンを達成するどころか、3作品連続のミリオンセラーを達成してしまう。そしてベストアルバムは、380万枚である。
その後も、まったく勢いを失わなかった松任谷由実は、女性ソロシンガー史上初のシングルアルバムCD累計3000万枚売り上げを達成した歌手となっており、間違いなく女性ソロ歌手史上もっとも偉大で実力のある歌手と言える。ちなみに現在では4000万枚を突破している。
【ユーミン】松任谷由実の現在:当然のようにギネスをとっちゃう
松任谷由実は現在70歳(1954/1/19)だ。ギネスの1つぐらい取っているらしい。
正式発表です🌟ユーミンこと松任谷由実さんがギネス世界記録「日本のオリコンアルバムチャートで1位を連続で獲得した最多ディケイド数」に認定㊗️1970年代から6年代連続でアルバム1位を獲得してきたのです!記録達成、本当におめでとうございます🎉 #TOKYOFM #YumingChord #ユーミンANNG pic.twitter.com/3TnnQfx3WP
— ギネス世界記録 (@GWRJapan) September 13, 2023
ユーミンが認定を受けたギネスとは、【6年代連続アルバム1位】だ。
つまり、1970年代、1980年代、1990年代、2000年代、2010年代、2020年代、そのすべてでアルバムを出してオリコン1位を獲得している唯一の歌手だということだ。
ちなみに、2022年10月に発売した「ユーミン万歳!~松任谷由実50周年記念ベストアルバム~」は、このCDがまったく売れない時代に50万弱売れており、もちろんオリコンもダントツ1位を獲得している。
松任谷由実の現在:過去の自分のコピーAI”荒井由実”ともコラボしてしまう
AI”荒井由実”は、1970年代から1980年代にしゅうろくされた音声を元にして、現在の最先端AI技術を駆使して、再現した当時のユーミンの歌声だ。
旦那が大物音楽プロデューサーの松任谷正隆(編曲した曲には、「栄光の架橋」など大ヒット曲多数)であることもあり、現代技術を駆使するための環境を持っていたことが、誰よりも先にAI技術と歌手の共演をした遠因となっていると思われる
”松任谷由実 with AI荒井由実”の曲は、Call me back。
ちなみに、旦那の松任谷正隆と松任谷由実の間には、AIなどSFの世界でしかなかった40年前に「絶対にロボットにしてあげる。声が出なくなっても、一生歌っていられるように」と約束した、なんともロマンティックな話がある。荒井由実時代の歌声を現在によみがえらせたのは、この約束を守る一環だったと、松任谷正隆は語っている。2人は結婚して50年経っているのに、めちゃくちゃ夫婦仲がよくて素敵ですな
松任谷由実の現在:結婚した旦那、松任谷正隆は、「赤いスイートピー」を一緒に作った戦友
松任谷由実と松任谷正隆の夫婦は、音楽ファンにとって、最も有名な夫婦となっている。理由は、松任谷由実と旦那が、一緒に音楽を作りながら音楽業界の荒波を乗り越えてきた戦友のような関係だからだ。
たとえば、松田聖子の代表曲「赤いスイートピー」は、松任谷由実の提供曲で、編曲は松任谷正隆が行った。
2人の初めての出会いは、アルバム「ひこうき雲」だった。
当時の2人の関係は、松任谷由実が歌手、旦那はセッションミュージシャンの1人に過ぎなかった。当時、「ひこうき雲」のレコーディングに難航していた時には、正確性を重視するディレクターの考えに、「もっと感情を大事にするべきだ)と旦那が主張して対立したこともあった。しかし、立場がはるか下の旦那の意見が受け入れられることはなかった。そんな自分の意見を全く反映されずに苦しんだ時代を、旦那は暗黒期と呼んでいる。
そしてその暗黒期を救ってくれたのが、松任谷由実だった。
松任谷由実が、積極的に旦那に対して意見を求めてくるようになったことで、自分の存在意義を見いだしたのだ。
松任谷正隆、キッチン挟んでユーミンと一緒に曲作ったエピソード素敵だし、意見ぶつかってユーミンが不機嫌になってる顔想像したら何故かほっこりした(*´ω`*)#関ジャム pic.twitter.com/ioz7YHd2qt
— メロさん@ほっこりするアカウント (@meloD2018) November 29, 2020
2人が結婚したときには、当時25歳の旦那と22歳の松任谷由実の初夜を妨害するために、吉田拓郎らミュージシャン仲間が新婚旅行についてきて朝まで騒いでいたという。
松任谷由実の現在:子供がいない理由が、生粋のアーティスト過ぎる
松任谷由実には現在、子供がいない。
それもそのはずで、松任谷由実は旦那と結婚する前に唯一の条件として、「子供を作らないこと」を提示したというエピソードがある。
なぜそれほどまでに子供を拒むのかというと、その回答が根っからの音楽家なのだ。
松任谷由実曰く「女性アーティストが子供を産んでしまった場合、こその子供が最高傑作になってしまう」言い得て妙である。たしかに子供が生まれてから価値観が激変したとか、子供が1番旦那が2番目になったなんて話がよく聞く。
さらに、松任谷由実は1980年代には、「子供はいない方がいい」「子供がいるとうるさい」「あと部屋が汚れる」「部屋の中におもちゃがあると、インテリアとして奇麗に見えない」らと、かなりぶっちゃけたことを語ったこともある。
続いて、松任谷由実の現在ある伝説やその影響力、トリビア、エピソードらを見ていく。
たとえば、「クリスマスが恋人と過ごす日になったのは、松任谷由実にある」などだ。