ジーコの現在は、ブラジルで大先生になっていた【なぜ日本に?どこに住んでる?】

ジーコは、本当に神様だったのか調べてみたら、神様以上だった。

ジーコがなぜ日本に来たのかは、お金じゃなく、志に感動したから

ジーコは現在、ブラジルで大先生になっていた。

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ジーコはこんな選手:「本当に神様って言われてるの?」日本で過剰に持ち上げられてるだけなのか調べてみたら神だった

日本では、「ジーコは、神様だ」とよくはやし立てている。が、そんな選手が日本に来るわけないのでは?過剰に持ち上げて凄い人が日本に来たとうたってるだけではと思ったので、調べてみた、

○ジーコのブラジル代表、歴代最強だった
ジーコはそもそもブラジル代表の選手だった。
代表選手としての通算成績は、72試合52ゴール、エースストライカー級の記録を持っている。

さらに4年に1度の祭典、FIFAワールドカップには3回出場しており、12年以上代表選手として活躍していた。特に1982年のブラジル代表は、ブラジル国内でも「歴代最強の代表メンバーの1つだ」と評価を受けており、そのメンバーの中でもっとも得点を決めていたのがジーコだった

○ジーコを神様と言いだしたのは日本じゃなかった。
ジーコは、日本では「サッカーの神様だ」とよく言われる
これは日本メディアの過剰広告ではない。
もともと、ジーコを「サッカーの神様」と言いだしたのは、ブラジル人だった。ブラジル国内で神様とあがめられていたジーコが日本に来て、日本でも神様と呼ばれるようになる。

さらに、現在にいたっても、ブラジルのサッカーファンに「サッカー界の神様を2人挙げてくれ」とお願いすると、やはり「ペレとジーコ」と応えるようだ。ちなみに、ペレ自身の口から、自分の次の選手を挙げるならジーコだとも語られている。

○ジーコ、引退してすぐに政府に招集される
ジーコは1989年に引退すると、翌年に就任した大統領に、すぐさまスポーツ担当大臣の任命を受けている。この任命は、他に類を見ないほどのブラジル国内のファンと支持を活かしてほしいと考えての任命だった。ブラジルの国技の神様だからこその対応である。

○ジーコのインスタ
現在、ジーコはSNSとしてインスタグラムをやっている。
フォロワー数は、300万人を優に超えていて、コメント欄にはポルトガル語であふれているのを確認できる。ジーコの現在の年齢は、71歳(1953/3/3)。もし何の人気もない日本で持ち上げられているだけの選手なら、70を超えたおじいちゃんの投稿に、ここまでファンであふれかえることもないだろう。

 

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ジーコは現在でも、ブラジルで行われているありとあらゆるサッカーイベントに呼ばれては、大いにファンを喜ばせている。

ではなぜ、サッカー界の神様が、日本に来てくれたのか、その理由は”お金に興味が無いから”だった

ジーコは、なぜ日本に来たのか?なぜ鹿島に来たのか?その理由

○ジーコが、日本のJリーグから誘いを受ける
ジーコにオファーを出したチームは、ブラジルからすれば弱小国の日本、そのサッカーリーグであり、さらに加えて2部のチームだった。「住友金属工業蹴球団」というチームで、現在では、コアなサッカーファンでなければ知らないような世界的な全くの無名のチームだった。

そんなチームのオファーに、最強サッカー国家のブラジルにおける神様ジーコは、オファーを受ける

○ジーコはなぜ日本に?その1:すでに富と名声を持っていた
神が日本に来た理由の1つは、すでに掃いて捨てるほどの財を成していたからだ。
ブラジルの歴史上2番目に尊敬されている選手として、すべてを手に入れたジーコは、お金で仕事を受けることはしなかった。

「住友金属工業蹴球団」のオファーを受けたのは、そのビジョンだった

○「住友金属工業蹴球団」のビジョン
「住友金属工業蹴球団」のオファーを受けた時のジーコは、住友金属の話に、瞬く間に魅了された。
彼らが言うところによれば、「日本の鹿島という土地にサッカーのためのサッカーを中心にした街づくりをしたい、その協力をするためにあなたの力を貸してほしい」というものだった。

○サッカーの神様ジーコ、二部チームの寮で生活をする
ジーコは、このプロジェクトを推進するために、サッカー選手として現役を復帰することに決めた。そして二部の選手として、他のチームメイトと同じように同じ寮で生活をしていた。サッカーの神様なら、高級ホテルや高級住宅といくらでも選択肢があっただろうが、ストイックなサッカーの神様は仲間と同じ生活をすることを選んだ。サッカーに対する姿勢もまた、一級品だってことですね

○ジーコの参加したプロジェクトの行方
現在、鹿島アントラーズは、J1の強豪チームの一角となっている。国内3大タイトル19冠は、全チーム最多。ジーコもJリーグ開幕戦でいきなりハットトリックを決めるなど、復帰後もサッカーの神様の強さを日本のサッカーファンに見せつけて大いに盛り上げており、活動期間は短かったものの、鹿島アントラーズのファンはもちろん敵チームからすら魅了している。鹿島プロジェクトはもちろん、Jリーグを盛り上げることすらもやってのけた人物だと言える

ジーコの現在:現在は、ブラジルに帰国して大先生に

○ジーコ、現在も鹿島とラブラブ
ジーコは、1991年に鹿島アントラーズと契約して以降、現在でも鹿島アントラーズと密接につながっている。
2018年7月から2021年まで鹿島アントラーズのテクニカルディレクターに就任、その後はブラジルに帰国しながらも、鹿島アントラーズのクラブアドバイザーとしての役割を負っている

○ジーコ、ブラジルのサッカー教室が巨大すぎる
ジーコは「ジーコ10・サッカースクール」を、ブラジルで開校している。その数、全国でなんと200校以上。アメリカや日本にも進出しており、サッカー文化をはぐくむ活動を今なお続けている

 

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ジーコの現在:自分のYouTubeチャンネルに呼んでる人物が規格外すぎる

○ジーコのYouTube、さすが神様すぎる
ジーコは現在YouTubeを運営している。ジーコ自身が動画に登場して、大物ゲストをたびたび読んで、話題になっている。

代表的なのはネイマールだ。

チャンネル登録者は100万人を超えており、規模もゴッド級である。