南原竜樹、マネーの虎で冷徹の虎と呼ばれていた南原社長が、現在奇跡の復活をとげたことはなんとなく聞いていた人も多いだろう。
今回は、南原竜樹社長が、具体的にどのような現在となっているのかを詳しく書いていこうと思う。
まずは、南原竜樹の現在までの経歴を軽くなぞっていく。しくじり先生出演時の話も全部、時系列に組み込んであるのでご安心を
南原竜樹の現在までの経歴【しくじり先生】傲慢と負債100億
◯高校は優秀、大学は普通の南原竜樹
愛知県立松蔭高等学校は偏差値は60。進学校に入学した南原竜樹は勉強をしなかったからか、愛知工業大学に入学する。
しかしこの愛知工業大学への入学が、南原竜樹社長誕生の出発点と言える
◯海外旅行に行きまくった大学時代の南原竜樹
友人の姉が旅行会社勤務だったので、南原竜樹は、安く海外旅行に行くことができた。
南原竜樹社長としての道が決まったのは、グアムに行ったときのことだ。友人が小遣い稼ぎにグアムで車を買って、日本に売るという転売をしていることを知った。
しかしそこでは動かなかった。稼げると言っても大きな買い物だ。リスクも大きいように感じた。
決定的だったのは卒業旅行のドイツ。車好きだった南原竜樹にとって、ドイツの車メーカーは聖地のようなもの。ディーラー巡り、自動車販売店巡りをしてみると、現地価格のやすさに衝撃を受けた。日本には殆ど入ってこない有名車メーカーが激安だ。南原竜樹はすぐに友人に電話、ドイツ車の値段を伝えると「買ってきてくれ」と即答されて、たった1台で大金を得た。
外国車の転売で大金を得られると知った南原竜樹
書い手も一瞬でつくと知った南原竜樹
このとき、南原竜樹社長としての道が決まった。
◯南原竜樹、アルバイトを掛け持ちする
まずは資金が必要だったので、アルバイトを掛け持ちするようになった。吉野家、オートバックス、GSなど4つも5つも掛け持ちした
◯南原竜樹、車の転売を始めた
ヨーロッパに行って、車を仕入れ始めた。買い手も大して苦労をせず、見つけることができた。いわばそこらへんのおっさんに話を振れば、すぐ交渉が成立するレベルだ。入れ食い状態だ。
◯南原竜樹、世界20カ国外国車を輸入する
買えばどんどん売れていくので、すぐにお金は膨らんだ。会社設立後に、アルバイトに逆戻りなんて思いつきもしないほど、儲かった。
南原竜樹の大きな実績に、銀行はニッコニコで、億円規模で簡単に融資をしてくれた
車のメーカーはどんどん増えて、ついには20カ国もの外国車を仕入れるようになった。
◯アルファロメオらの輸入権も持っていた超VIP南原竜樹
南原竜樹の勢いは止まらない。アルファロメオ、TVR、AC CARS、ロータス、MGローバーの輸入権を貰えるようになった。
イギリスでは、VIPどころではなくVVIP(ベリーVIP。イギリスに莫大な金をもたらしてくれる超大事な客)扱いを受けて、ブレア首相と食事をすることもあったし、女王陛下の招待を受けたこともある
◯南原竜樹の「マネーの虎」の時代
冷徹な虎と言われていた南原社長。僕が1番好きだった社長で、「とにかく論理的で、合理的」だった。合理的ゆえに冷徹なのだ。もっとシンプルに言うと、どんな事情があっても無慈悲に言うので、うわ~と思って面白かった。
その南原竜樹を象徴しているシーンが、「外反母趾サンダル」の回。すぐに始まるようになっている。
流れは「全国で、外反母趾に悩んでいる40代から60代の女性を救いたい」とサンダルを紹介して、デザインの話になっていく。8:52から南原社長の部分に差し掛かる。
南原竜樹の独裁的経営【経歴】
◯南原竜樹の独裁
会社では、南原竜樹社長のほとんど独裁だったとか。社員の意見なんて聞くはずがなかったし、なにか問題が起こったならすべて社員のせい。社員のことは、24365部隊(24時間365日働けという意味)とよんで、蔑んでいた。
当時の南原竜樹のことを、現在の南原竜樹が振り返ってコメントしたものがあるので、箇条書きにする
- 社員は私の思う通りに動くコマ
- 働いてもらってる?ありえない、働かせてやっているのだ
- 部下を褒める必要がない。なぜなら奴らは無能だから。俺の指示が有能なだけ
- 家族との時間?知らねえよ。おまえを食わせているのは俺。出張は義務
- 部下の意見と自分の意見が食い違ったら、100%部下の間違い
- ストイックな俺はかっこいい
- デパートの袋に1億円入れて持ち歩いていた。ああ俺かっこいい
- 部下の話はきかず一方的に部下に話す俺はかっこいい
- 遊んでいる社長は馬鹿だと思える俺はかっこいい
- 部下が帰りにくいオーラを出している俺はかっこいい
- 本当にひどい、部下の扱いを全くわかっていない破産して当然の社長
いわゆる典型的なワンマンで、リーダーズハイ状態だったと振り返る南原竜樹。これらは、しくじり先生などで過去を振り返り告白したものだ。部下から不満は、でなかったのかというと、出すことができなかったというのが正しい
◯南原竜樹の言うとおりにしていたら年商100億になった
南原竜樹の背後には、年商100億を生み出し現在も右肩上がりであるという事実が、君臨していた。南原竜樹の言葉がどんなに理不尽だと思っても、100億円のスタンドが見下ろしてきて、決して言うことが出来なかったようだ。
◯千手観音:南原竜樹
とにかく部下を信用しない南原竜樹なので、なんでも自分で手を付けようとしていたため、千手観音と呼ばれていた。
そして、ついに破産する南原竜樹だ
南原竜樹、破産して気づく【経歴】
◯そしてMGローバー破産、在庫大量
2005年の大事件、南原竜樹はその煽りを受けた。
MGローバーが破綻した次の日には、車の市場価格は5割下がった。ハイランクの車にいたっては7割下がったものもある。しかもその価格ですら、他の車より圧倒的に売れなかった。「どんなに在庫を抱えても飛ぶように売れる」外国車転売業だったので、大量の在庫を抱えていた。
◯負の連鎖、銀行の取り立てが加速
MGローバーの破綻の大ダメージを受けたと知った銀行は、南原竜樹への借金の取り立てにムチを打つようになった。借金は30億、1ヶ月で1億円の返済をしなければならなかった。
◯社員のことが一気にのしかかる
ワンマンで傲慢だった南原竜樹だが、それは社長として全社員を食わせている自負があったからだ。それがすべて崩れ去り、社員の生活をなんとかせねばと思うようになった。
社長室の机で途方に暮れているとき、【男の引き際】という本が目に入ったという。
さらに、とある社員は言った。「いやいや、会社が倒産して困るのは社長だけだから。僕たちは他の自動車販売店に就職すればいいだけだから。」
ふっきれた南原竜樹は、いつまでも社員を拘束してはならないと思い、社員263名を全員解雇を決めた。そして、しばらくして借金の返済に追われるなか損失はどんどん膨れ上がり、ついには100億円、連鎖倒産となった。
◯南原竜樹、気づく。社員は皆・・・
南原竜樹はその後の社員のことも気にかかったようだ。自分のせいで職をなくして、やっていけるだろうか。
しかしそんな南原竜樹の心配は余計な世話だったと思い知らされる。自分の社員は一人残らず、同じような車販売会社に転職していったのだ。南原竜樹などいなくても、仕事が出来ると言わんばかりに
南原竜樹は思った。「ああ、無能と思っていた社員は、みんな有能だったんだな」
そんな気付きもすべて遅く、南原竜樹はホームレスになった。
◯ホームレス南原竜樹、寝る
ホームレスになった南原竜樹にはもう会社もない。事務所もない。
仕方がないので、六本木ヒルズ内の公園のベンチで寝っ転がっていた。すると守衛に怒鳴り散らされて追い出された。「ココは私有地だぞ!コラ!」
その後は、公演やバス停のベンチで寝ていた。これからどうしようか。とりあえず金を稼がねばご飯も食べられない。何度も通るバスを見て、バスの運転手をやろうと思った
◯南原竜樹、仕事がない
バスの運転手は、非採用だった。45歳(2005年当時)、年齢的にちょっとと断られた。
求人雑誌を見て面接に行った。南原竜樹だと知ると、「マネーの虎の社長はちょっと使いづらいよ・・・」「乗っ取る気だろ」と相手にされなかった。
仕事がなかった南原竜樹は、会社の備品をちょびちょび売りながらなんとか生活していた。
結局、他のバス会社の面接に行き、バスの運転手になった。
◯どん底の南原竜樹、過去と出会う
すべてを失った南原竜樹は、とある人間と再会する。それが、南原竜樹の振り返りコメント箇条書きで紹介した、「バカにしていた遊んでいる社長」だった。
その社長は、南原竜樹の現状を知り、もう一度頑張ってみたら良いと言ってくれた。
南原竜樹は、自分には会社経営しかないと決心した。社長は事務所を借してくれて、家賃も1年後に1支払いでと、南原竜樹の成功に賭けてくれた。人材派遣会社を始めることにした。
◯南原竜樹、人の大切さを知る
南原竜樹は社長との出会いに感謝した。しかしそれだけじゃなかった。人材派遣会社をこれから始めるぞというところに、263名の中の社員が4名、帰ってきてくれたのだ。一切信頼せず、話を聞かず、理不尽なことを言って、バカにしていた。なのにまた自分と一緒に頑張ってくれるという。
その時、南原竜樹は考え方を大きく買えた。社員を信頼しよう。自分本意な経営はやめて、みんなの意見を尊重する会社にしよう
南原竜樹の現在に続く。
南原竜樹の現在【成功の軌跡】
◯南原竜樹のネームバリュー
南原竜樹の現在の成功は、自分のネームバリューに助けられた。
ホームレスのとき、南原竜樹の名前は足を引っ張るばかりだった。どこも雇ってくれない、まともに外も歩けない。
しかし、いざ起業をしようとなると自分のネームバリューは、大いに役になった。マネーの虎のとき、一番人気だったのが南原竜樹だった。人材派遣会社の社員となるおばさんたちは簡単に集まって、すぐに事業は成功した。
◯南原竜樹、いろんな事業に手を出すようになる
社員を信頼するようすると、南原竜樹は以前とは違うことをするようになった。それが多事業展開だ。自分が全体を見るのはもちろんだが、ある程度は人に任せることによって、色んな分野に手を広げることが出来るようになった。
人材派遣会社に始まり、中古車売買支援、ライザップがアイデアをマネたパーソナルジム「Livito」(Livitoの客が、これは行けるとマネて大きくなったのがライザップらしい)、ワイン雑誌ら出版事業、旅館事業、飲食店事業、医療系の外注事業(アウトソーシングってやつ)などなど。
(http://physiqueonline.jp/specialist/executive/page110.html)
少し前に話題になった、筋肉ムキムキ南原竜樹。「Livito」ジム事業の一環だったらしい。
◯とくに調子の良いレンタカー事業
南原竜樹の買収当初は200台規模の会社だった「ルフト・トラベルレンタカー」を、沖縄でTOP2に入るような2000台規模のレンタカー会社までに成長させたらしい。最近では、北海道や愛媛県にも進出していった。
現在も10社だったり、6社だったり、買収→成長→売却を繰り返しているので、経営会社の数を変化させながら、成長中らしい。
◯南原竜樹がやっているのは、フランチャイザー
フランチャイザーを簡単に言えば、「うちの商品で商売させてあげるから使用料払ってねー」みたいなやつだ。「うちの看板を使わせてあげるから使用料払ってねー」もある。
南原竜樹の場合は、「誰でも簡単にうまく出来る簡単な商売」を見つけて、「やりたい人にやらせて一応使用料ももらう」とやっているらしい。
- 「寄生式:パラサイトひも術」を編み出したぞ!
- 「めっちゃええやん!それ使って商売させて!」「俺も俺も」
- 「いいぞ、使用料払ってな」
まさに南原竜樹の今のスタイル、人に任せていくスタイルとガッチした経営手法である
現在の南原竜樹の会社の社員たちの声も紹介されていたので最後に書こう
- 冷徹な虎とは別人
- 笑顔でコミュニケーションを取ってる
- 社員を食事に誘っている
- 社員の意見に耳を傾けてくれる
- 部下からのアドバイスも聞こうとする
パワハラ社長は最悪だが、やはり過去を反省して、現在に反映させることが出来る南原竜樹は、素直にかっこいいと思った。
昔を肯定するわけではないが、南原竜樹の過去の経歴を見てみると、MGローバーが破綻するまでの15年間自分だけを信じてすべてが上手く行っていたのだから、「俺の判断はすべて正しい」と傲慢に思ってしまうのも理解できる。むしろそんな強烈な15年間を改めることができたのが凄い。果たして僕におなじことが出来るか、無理だろうな。
※最近の南原竜樹と岩井良明の対談、当時の裏話
最近の交友関係とか聞けて面白い。
高橋がなりは農業やめてゴルフして遊んでるってよ
おわり