押尾学の現在2022【今と昔かっこいい画像】再婚した嫁nanami,子供の名前【押尾学事件まとめ】

超イケイケかっこいい俳優で大人気だった押尾学。

押尾学事件、またの名を押尾学MDMA事件という、目玉がっぽり取れちまう大事件の渦中に飲み込まれて芸能界を去った。

押尾学は現在何をしているのか?再婚した嫁nanamiの話や、子供についてなどにも触れていく。「押尾学の今何してる?」だ。

その前に、押尾学の懐かしい昔を軽く振り返っていこう

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押尾学の現在にいたる懐かしい昔【かっこいい画像】ドラマ

○ライブハウスでスカウトを受けて2年後にはVシネ主役のイケメン押尾学
ライブハウスにいた事務所の人間が、「こりゃイケメンだわい」と声をかけたのが18歳の押尾学。容姿を評価したスカウトで、2年後にはVシネマ「新・湘南暴走族 荒くれNIGHT 3」「新・湘南暴走族 荒くれNIGHT 4」で主役となった

押尾学の若い頃かっこいい画像
(C)フジテレビ「クニミツの政」

○デビュー4年目ドラマ「20歳の結婚」でブレイクした押尾学
優香を主演にしたドラマで、主人公の優香が一目惚れする男性を押尾学が演じた。
実はこのドラマ、デビューして間もない、押尾学、坂口憲二宮崎あおい、米倉涼子。平山あやらが出演している実はすごい豪華なドラマで、後々になってこのドラマすごくね?と話題なったドラマでもある。そんなドラマの中心は優香と押尾学である。

○その後、フジテレビを中心にゴールデン連続ドラマの常連人気俳優になった押尾学
「やまとなでしこ」「ラブレボリューション」「春ランマン」「ダブルスコア」「クニミツの政」と連続ドラマの主役やメインキャストをコンスタントにつとめた。
視聴率はどのドラマも当時1番いいものばっかりだったし

押尾学の結婚【元カノ・矢田亜希子・馴れ初め・子供の名前・離婚】嫁

当時の押尾学と言えば、アイドルキラーと呼ばれていた。奥菜恵のイメージを180変えたのは押尾学と言われていたし、モーニング娘の超人気メンバー安倍なつみとの交際が発覚したときは、モーニング娘のファンが発狂した。そんな押尾学が矢田亜希子と出会ったのはドラマである。

○押尾学と矢田亜希子の2005年ドラマ「夢で遭いましょう」
「やまとなでしこ」で共演をしている二人だが、5年後に再共演して一気に仲が縮まった。
矢田亜希子は当時、中日の平松一宏投手と交際が知られていて、ナゴヤドームで声援を送っている姿も見られていた。やっぱ矢田亜希子はドラマ出まくりCM出まくりの好感度超高美人女優だったので、平松一宏としても劣等感があったのかもしれない。二人の交際が終わり、押尾学と交際が始まった。当時の両事務所が、押尾学と矢田亜希子の交際を素直に認めていることからも、かなり真剣だったのではという話があった。

押尾学と矢田亜希子
(ドラマ:ヤマトナデシコより)

○しかし押尾学と矢田亜希子の結婚は、反対だった周囲
超ゼツドチャ売れ女優だった矢田亜希子なので、事務所としては矢田亜希子に仕事をやめてもらうわけにはいかない。
一方の矢田亜希子は、「女優として何も未練がない。やめてもいい」と周囲にこぼすぐらいに、押尾学との関係を優先していた。それでも矢田亜希子は女優を継続。

○報道陣への態度が攻撃的で、押尾学と矢田亜希子のイメージが下がっていく
押尾学の代名詞の一つとして、報道陣がとにかく嫌いで、報道陣への攻撃的な態度をとっていた。「中指をピン!」することもあり、それがそのまま報道されるので、どんどん二人の印象が下がっていった。報道陣嫌いな気持ちもわかり、よっぽど腹の立つ対応をされた背景があって、でもそっちは都合よく切り抜かれて、押尾学と矢田亜希子の評価は下る一方だった。矢田亜希子の仕事もどんどん減っていった。

○2006年11月、押尾学、矢田亜希子の結婚
結局二人の愛は止まらず、周囲が反対する中で、おしきりの結婚。
矢田亜希子の芸能活動は、2006年4月-6月でトップキャスター、2006年7月に打ち切られたアフラックCM契約を最後に大きく停滞していった。
それほど愛が強かったということなのだろう。矢田亜希子が思い切ったと言うより、そこまで夢中にさせた押尾学すげえなーという話だろう。

○翌年11月、矢田亜希子が子供を出産
それでも、やっぱり元トップ女優にトップ俳優だった二人なので、幸せだったのだろう。
2007年11月には矢田亜希子は子供を出産。息子の名前は、リアムとなった。リアムくんの名前の由来は、リアム・ギャラガーからである。

○そして2009年8月7日、「子供>押尾学」となった矢田亜希子、離婚
「押尾学事件」から半年前から別居状態になっていた矢田亜希子と押尾学。

矢田亜希子にとって、すでに子供>押尾学となっていた

女優として全てを投げ捨ててでも一緒になりたいと願った押尾学との関係は、押尾学の女性関係を原因に、別居状態になっていた。。押尾学事件が発生し、子供への影響を最優先に考えて、離婚することにした。

【離婚したときの矢田亜希子のコメント】
彼の女性の問題や価値観の違いから、別居状態となっていました。別居はしていながらも彼との離婚にはいたっておりませんでした。
今回の事件を受け、周囲の方々や息子への影響を第一に考え、離婚を決意した次第です

押尾学事件をわかりやすく簡単まとめ【押尾学MDMA事件・田中香織】

○芸能人初の裁判員制度が適用された男、押尾学
当時裁判員制度が導入されて間もない時期で、押尾学は芸能人で1番最初に裁判員制度が適用された男となった。

○押尾学事件、ほかの芸能麻薬事件と一線をかくす事件に
事件現場には、ホステスが泡を吹いて倒れていたことで、話が無限大に大きくなった原因である。禁断症状で泡を吹いて倒れていた田中香織さんを放置して、パニックになった押尾学は逃走してしまったのだ。

○押尾学の批判と判決の矛盾
押尾学への批判は、「もし救急車を呼んでいれば助けられたかもしれない」という点だった。つまり自分の保身のために、人命救助を放棄したと世間はみなし、大バッシングとなった。
判決は、遺棄致死にはならず、遺棄。理由は「通報していれば、被害者の救助が確実であったと、疑いが入らぬ程度に立証できていない」ことだった。
よくよく考えてみるとわかる。「3時間救急車を呼ばれない」だけで亡くなるほどの中毒症状を起こしているなら、そもそも助からなかった可能性のほうが高い。

○押尾学事件の簡単な結末
押尾学は、「保護責任者遺棄罪」と「麻薬所持、麻薬譲受、麻薬譲渡」の判決となり、最長3年6ヶ月の服役となった。2年8ヶ月で仮釈放となった。

○いろいろややこしくなった押尾学事件の広がりと真実
部屋の名義がピーチジョン創業者野口美佳(押尾学ファンで、部屋を好きに使っていいと言っていた)だったり、北島康介とか森祐喜(森首相の息子)の名前も出てきたり、「実は押尾学が、お偉いさんをかばって出てきてるんじゃないか」と、どんどん話がでかくなった。

ちなみに北島康介や森祐喜の名前も、週刊誌が疑惑として名前を出して、陰謀論がどんどん広がって、麻薬ということでヤーさんも絡んでるだろうと関東連合まで出てきて、それら架空の話がすべてつながっていき、全部真実のように語られたフィクションだ。

いい面でも悪い面でも、週刊誌は書き放題だし、あまり鵜呑みにしないほうが良いだろう。

押尾学の現在【再婚、妻nanami、子供】

押尾学の現在の年齢は、45歳である。

俳優
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